一つに絞れないことは多いものの、新形式が造られる際には、何らかのきっかけがあります。
小田急の車両についても同様であり、これまでに多くの形式が誕生してきました。

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各形式が誕生したきっかけについて、今後シリーズ化して書いていく予定ですが、初回は通勤型車両の現役最古参である8000形編です。
ケイプアイボリーの車体に、ロイヤルブルーの帯を巻く最後の形式となりましたが、誕生したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

多数が残っていた中型車と非冷房車

箱根登山線内を大型車の6両編成が走れるようになり、急行が10両編成に統一されていく時代、8000形が生まれたのはそのような時期でした。
急行の10両化に合わせ、5000形の6両編成が毎年のように増備されていきますが、廃車となる車両は少なく、1800形が役目を終えたのが目立つ程度です。

5000形の最終増備車の登場後、2200形等のABFM車に廃車が発生していきますが、これらの車両を本格的に置き換えるのが8000形という車両でした。
当時の小田急では、1両の長さが短い中型車が多く残っており、一部を除いて冷房も搭載されていなかったことから、大きな車体の冷房車とは格差が目立ち始めます。
ダイヤを組むうえでも、分割併合が多かった小田急では案内がしにくく、5000形によって必要な車両が揃いつつあった当時においても、早期に置き換えたいという背景があったのです。

このような状況下で、車体の腐食対策等を徹底し、搭載する機器も時代に合わせてアップデートした8000形が登場しましたが、当時の小田急には大型車にも非冷房の車両が存在しました。
古い車両の機器を流用して造られた4000形であり、吊り掛け駆動方式や特殊な台車がネックとなり、そのままでは冷房化が困難という状況でした。

1983年に8000形はデビューしましたが、まずはABFM車と呼ばれるグループの置き換えを進めていくこととなります。
初期に6両編成が集中して造られたのはこれが理由で、2両を複数繋いだ6両で使われていたABFM車を、次々に置き換えていくこととなりました。

3形式が絡み合って置き換えを推進

1984年にABFM車の置き換えが終わり、小田急の通勤型車両における最後の中型車は2400形となりました。
2400形は116両という大所帯でしたが、これだけのまとまった両数の形式を置き換えるのは小田急初であり、8000形は成熟期に入りつつある頃の車両ともいえるかもしれません。

冷房化を推進したい小田急では、4000形という困った存在の解決についても、2400形の廃車に合わせて行うことにしました。
それは、2400形から取り外したモーターを4000形に流用するというもので、電動車用に台車も新製しつつ、冷房付の高性能車へとアップデートされていきます。

1985年から始まったこの動きにより、8000形の増備によって2400形を廃車、取り外したモーターを活用して4000形を更新というサイクルが生まれ、冷房化のペースは2倍のスピードで進んでいくこととなりました。
終盤では1000形にその役割を譲り、8000形の増備は1987年に終了することとなり、最終的に4両と6両が16編成ずつ、合計160両の大所帯となっています。

おわりに

現在は半数ほどに減りつつも、現役での活躍が続いている8000形。
中型車や非冷房車を置き換えた車両は、西武に移籍した仲間も含めて、40年を超えた今もまだまだ活躍しそうな気配ですね。