1960年に営業運転を開始し、小田急に本格的な高性能車の時代をもたらした2400形。
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
番号はまだ2400番台に収まっていますが、既に枯渇しそうな気配が漂い始めていました。
2400形は製造段階での仕様変更が少なかった車両ですが、車体の外板と屋根板の厚さが途中で変わっており、2489Fは一般的な2.3mmと1.6mmになっています。
他の編成と同様に、登場後には前面に種別幕の追加が行われ、カラーリングも変更されました。
2489Fならではの特徴は、手動のままながら晩年に種別幕が黒地のものに交換されていることで、中型車ではかなり珍しいことでした。
1979年以降には、小規模な車体の修繕が行われています。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
1987年度に廃車となりましたが、外されたモーターは4000形に流用されたものと思われます。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2439:調査中
デハ2440:調査中
クハ2490:調査中
デハ2439:日本車輌製造
デハ2440:日本車輌製造
クハ2490:日本車輌製造
デハ2439:1963年3月11日
デハ2440:1963年3月11日
クハ2490:1963年3月11日
デハ2439:1988年3月31日
デハ2440:1988年3月31日
クハ2490:1988年3月31日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2489Fの概要
1962年度に登場した編成で、2400形としては比較的後期の増備車です。番号はまだ2400番台に収まっていますが、既に枯渇しそうな気配が漂い始めていました。
2400形は製造段階での仕様変更が少なかった車両ですが、車体の外板と屋根板の厚さが途中で変わっており、2489Fは一般的な2.3mmと1.6mmになっています。
他の編成と同様に、登場後には前面に種別幕の追加が行われ、カラーリングも変更されました。
2489Fならではの特徴は、手動のままながら晩年に種別幕が黒地のものに交換されていることで、中型車ではかなり珍しいことでした。
1979年以降には、小規模な車体の修繕が行われています。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
1987年度に廃車となりましたが、外されたモーターは4000形に流用されたものと思われます。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
クハ2489-デハ2439-デハ2440-クハ2490※左側が新宿方
製造区分
クハ2489:調査中デハ2439:調査中
デハ2440:調査中
クハ2490:調査中
製造所
クハ2489:日本車輌製造デハ2439:日本車輌製造
デハ2440:日本車輌製造
クハ2490:日本車輌製造
竣功日
クハ2489:1963年3月11日デハ2439:1963年3月11日
デハ2440:1963年3月11日
クハ2490:1963年3月11日
廃車日
クハ2489:1988年3月31日デハ2439:1988年3月31日
デハ2440:1988年3月31日
クハ2490:1988年3月31日
2489Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様
コメント
コメント一覧 (21)
ホームから発車する、急行新宿行です。
お詫びして訂正させて頂きます。
左側の家の上に、藤沢駅を出て登って行く、線路の上に
有ります、架線柱間を橋渡しする鉄骨が見えますね。
片瀬江ノ島駅ならこの位置に踏切が有ります。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
背後に無線の鉄塔が見えます。
2490 は小田原方です。
号車番号が下り方向から付されるので勘違いしやすいですよね、
ワタシダ
が
しました
2400形が、湯本急行に運用されると、日中でも混んでいましたので、何時も混んでいる、小田
急と不評をかっていました。特に平日の当時の大根駅以東は、混雑が酷かったです。
ワタシダ
が
しました
片瀬江ノ島での折り返し乗車が頻発していたのも、理由の1つです。
もう一つは、本鵠沼、鵠沼海岸の両駅の前後には、踏切が有りホーム延伸が不可能に
なっているからです。
現在藤沢駅では駅改良工事中で、今後は、東林間から藤沢本町の急行通過駅のホーム
延伸も行われると思います。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
季節が分かりません。
小田原駅在籍中、夏の間一回だけ1ヶ月間、片瀬江ノ島駅に助勤に行きました。
助勤者は、乗務員と同じ棟の宿舎で寝泊まりしました。夕食は駅務係の人が、
作ってくれました。助勤者は早番で22時から初電前まで休憩仮眠時間でした。
当時は自動改札は無く、往復乗車券も有りました。
今は珍しく有りませんが、花火大会の時は、藤沢〜片瀬江ノ島間のピストン
運転も有りました。
ワタシダ
が
しました
左側に留置線が有りますが、現在は、乗務員の宿舎にな
っています。
今ではほとんどが、藤沢折り返しになってしまいました。
ワタシダ
が
しました
今とは違う配線だと思いますが、駅を出てすぐ左カーブということは小田原でしょうか
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
懐はかなり痛みますが、かねてからどうしてもやりたかった道楽です。
ワタシダ
が
しました