1960年に営業運転を開始し、小田急に本格的な高性能車の時代をもたらした2400形。
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
川崎車輛で製造された最初の2400形であり、その後の大量増備が始まろうとしていた頃のことでした。
2次車以降の編成と比較した場合、車体の外板と屋根板が薄く造られていることが特徴で、それぞれ1.6mmと1.2mmになっています。
その後は一般的な厚さに変更されたため、1次車の4編成にのみ見られるものでした。
編成の外見に固有の特徴はなく、変化は形式全体に行われた改造等によるものが中心です。
1979年以降に小規模な車体の修繕を行っており、腰部の外板を貼り替えています。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
4000形にモーターの供出を行い、1986年に廃車となっています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2405:1次車
デハ2406:1次車
クハ2456:1次車
デハ2405:川崎車輛
デハ2406:川崎車輛
クハ2456:川崎車輛
デハ2405:1960年2月3日
デハ2406:1960年2月3日
クハ2456:1960年2月3日
デハ2405:1986年11月30日
デハ2406:1986年11月30日
クハ2456:1986年11月30日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2455Fの概要
2400形の1次車として1960年に竣功した編成で、同日には2453Fと2457Fも竣功しています。川崎車輛で製造された最初の2400形であり、その後の大量増備が始まろうとしていた頃のことでした。
2次車以降の編成と比較した場合、車体の外板と屋根板が薄く造られていることが特徴で、それぞれ1.6mmと1.2mmになっています。
その後は一般的な厚さに変更されたため、1次車の4編成にのみ見られるものでした。
編成の外見に固有の特徴はなく、変化は形式全体に行われた改造等によるものが中心です。
1979年以降に小規模な車体の修繕を行っており、腰部の外板を貼り替えています。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
4000形にモーターの供出を行い、1986年に廃車となっています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
クハ2455-デハ2405-デハ2406-クハ2456※左側が新宿方
製造区分
クハ2455:1次車デハ2405:1次車
デハ2406:1次車
クハ2456:1次車
製造所
クハ2455:川崎車輛デハ2405:川崎車輛
デハ2406:川崎車輛
クハ2456:川崎車輛
竣功日
クハ2455:1960年2月3日デハ2405:1960年2月3日
デハ2406:1960年2月3日
クハ2456:1960年2月3日
廃車日
クハ2455:1986年11月30日デハ2405:1986年11月30日
デハ2406:1986年11月30日
クハ2456:1986年11月30日
2455Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (5)
※2400形は一部の編成で乗降ドアがステンレス化されていますが、何故か偶数車側しかされていません(ネタバレになってしまいますが、1編成丸々ステンレス化されているのは2469Fと2475Fの2編成しか有りません)。
ワタシダ
が
しました
たしか2600形登場後、1000形ワイドドアが出るまで小田急一般車のドアピッチ(幅や間隔などレイアウト)は統一されていて、以後新形式では毎回微妙に変更が行われています。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました