1972年に営業運転を開始した小田急9000形。
小田急9000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
9009Fとは製造所や竣功日が同じで、まるで兄弟のような編成でしたが、その後の運命は大きく分かれることとなります。
仕様の面では編成に固有の特徴はなく、側面の表示装置は電動の幕式とされ、前面の種別幕は種別ごとに文字の色が異なるものを採用しました。
乗務員室の扉がステンレス製になっていることも、他の2次車以降の編成と共通の特徴です。
9010Fの後は6両編成の増備へと移行し、最終的には4両と6両が10本ずつ造られる予定でしたが、9408Fまでが揃ったところで増備は中断されます。
その後、営団地下鉄(現在の東京メトロ)への乗り入れ本数が決定し、9000形は4両と6両を9本ずつに揃えることとなりました。
このような経緯があり、登場から僅か5年後に新造の中間車を2両追加して9409Fへと変更され、9010F自体は消滅しています。
9010Fとして活躍した期間が短いこともあり、写真として残っていること自体が貴重な編成です。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ9110:2次車
デハ9210:2次車
デハ9310:2次車
デハ9110:東急車輛製造
デハ9210:東急車輛製造
デハ9310:東急車輛製造
デハ9110:1972年12月1日
デハ9210:1972年12月1日
デハ9310:1972年12月1日
デハ9110:1977年11月28日
デハ9210:1977年11月28日
デハ9310:1977年11月28日

写真提供:小田急指令掛川様

写真提供:小田急指令掛川様
小田急9000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
9010Fの概要
4両の最終編成として、1972年の終わりに9010Fは登場しました。9009Fとは製造所や竣功日が同じで、まるで兄弟のような編成でしたが、その後の運命は大きく分かれることとなります。
仕様の面では編成に固有の特徴はなく、側面の表示装置は電動の幕式とされ、前面の種別幕は種別ごとに文字の色が異なるものを採用しました。
乗務員室の扉がステンレス製になっていることも、他の2次車以降の編成と共通の特徴です。
9010Fの後は6両編成の増備へと移行し、最終的には4両と6両が10本ずつ造られる予定でしたが、9408Fまでが揃ったところで増備は中断されます。
その後、営団地下鉄(現在の東京メトロ)への乗り入れ本数が決定し、9000形は4両と6両を9本ずつに揃えることとなりました。
このような経緯があり、登場から僅か5年後に新造の中間車を2両追加して9409Fへと変更され、9010F自体は消滅しています。
9010Fとして活躍した期間が短いこともあり、写真として残っていること自体が貴重な編成です。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ9010-デハ9110-デハ9210-デハ9310※左側が新宿方
製造区分
デハ9010:2次車デハ9110:2次車
デハ9210:2次車
デハ9310:2次車
製造所
デハ9010:東急車輛製造デハ9110:東急車輛製造
デハ9210:東急車輛製造
デハ9310:東急車輛製造
竣功日
デハ9010:1972年12月1日デハ9110:1972年12月1日
デハ9210:1972年12月1日
デハ9310:1972年12月1日
6両固定編成化・改番日
デハ9010:1977年11月28日デハ9110:1977年11月28日
デハ9210:1977年11月28日
デハ9310:1977年11月28日
9010Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様

写真提供:小田急指令掛川様
コメント
コメント一覧 (14)
もしかして、梅ヶ丘駅に臨停で4両なっているのかな?
ワタシダ
が
しました
場所は東北沢で追い抜いていくのが2200系先頭のABFM三重連準急相模大野行きという…
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
9010→9409と9210→9609にパンタグラフが取り付けられました。
小さいころですが、パンタグラフのきれいな車両と汚い車両が混ざっていたのをなんとなく覚えています。
ワタシダ
が
しました
その後は8連への組み換えで運転台とライトが撤去された編成もあり、たしか外したライトは5200形に流用した者もあったような…。
ワタシダ
が
しました
今は架線は外されましたが、保線用車両の留置線になっています。
ワタシダ
が
しました
これは後に、中間にサハ2両を入れて、9409Fになりました。
ワタシダ
が
しました
同時に、気まぐれ?に使用されていた各停幕が正式に使用開始になりました。
以降に製造された車両は、通過標示灯は省略されています。
例えば2000形の第3編成以降からは省略してます。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました