新形式が誕生する際には、何らかのきっかけとなるできごとがひそんでいることが多いといえます。
小田急においては、乗り入れ先が関係して新形式となることもあり、特有の要素が盛り込まれるケースもありました。

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シリーズでまとめていく各形式が誕生したきっかけですが、今回は千代田線への乗り入れ用として登場した4000形です。
小田急らしさが薄れたと感じた4000形は、どんなきっかけで生まれたのでしょうか。

千代田線に乗り入れる車両の交代

3000形の増備がハイペースで進んでいた2006年度、新形式として4000形が登場すると小田急から発表されました。
いつまで3000形が増備されるのだろうという状況の中、4000形に移行するというのは突然のことのようにも感じたものです。

当時の小田急は、9000形までの置き換えが終わり、全180両が在籍する5000形の廃車が始まっている段階でした。
そんな中で登場した4000形は、東京メトロの千代田線に乗り入れる1000形との交代が前提とされ、余る1000形によって5000形を引退させていく流れとなります。

時代背景を反映した動きとして、小田急も3000形から標準化の思想が随所に見られるようになりましたが、4000形はJR東日本のE233系を設計のベースとしました。
相鉄等で似たような事例は存在しましたが、小田急の場合は独自の仕様とした部分が比較的多く、少し方針は異なっていたように思います。

2007年にデビューした4000形は、早々に千代田線にも乗り入れるようになり、4両と6両を繋いだ1000形と次々に交代していきました。
5000形を引退させるため、1000形を乗り入れから外す必要があったのは事実ですが、他にも事情があったといわれています。
それは2003年に韓国の地下鉄で発生した放火事件のことで、緊急時の避難誘導に課題が生じる恐れがあることから、2編成を併結した1000形を早期に置き換える必要がありました。

将来も見据えていたと思われる設計方針

韓国の地下鉄で放火事件が発生してから、約4年後に4000形は登場しています。
それなりに時間が経過しているように感じますが、すぐに1000形の交代を決めているわけではないため、4000形の設計にかけられた期間は長くなかったと考えられるでしょう。

そのような状況下で、乗り入れ先との協議をしつつ設計を進める必要があった4000形は、E233系をベースとした車両とすることで、短期間での設計を可能にしたものと思われます。
コストダウンだけが理由ではなかったことは、後にJR東日本との相互直通運転を開始した流れや、新5000形が独自の設計に戻った点からも裏付けられました。

中間に先頭車が入る1000形を地下鉄から撤退させ、将来的にJR東日本との相互直通運転を実現することを念頭に、できる限り早く増備を開始するということが、4000形という車両を生むこととなります。
当初の予定では、400両を超える3000形が造られる予定があったともいわれており、4000形は急な計画変更をきっかけとして、生まれた可能性が高いのでしょうね。

おわりに

小田急にもコピー車両か等と、登場当時は耳にしたものですが、後になって背景が見えてくると、違った理解ができるようにもなりました。
今もやや異質な車両ではありますが、相互直通運転という大役を長く務め、小田急にとって欠かすことができない車両となっています。