残るは3両のみとなりながら、クラシックな外見で観光客を魅了する箱根登山電車の旧型車。
かつての小田急ロマンスカーに準じたカラーリングを維持しつつ、新しい車両たちとともに活躍を続けています。

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そんな旧型車ですが、同じような車両にもかかわらず3形式に分かれています。
番号も続いているため、さらに分かりにくい状態となっていますが、なぜ形式が分かれているのでしょうか。

3形式に分かれている旧型車

現在はアイコン的な存在にもなっている旧型車ですが、かつては箱根登山電車の大多数を占めていました。
1000形が登場して以降、断続的に置き換えが行われてきた結果、現在は3両を残すのみとなっています。

同じように見える3両ですが、実際には異なる2形式が在籍しており、モハ1形が2両、モハ2形が1両という内訳です。
番号はモハ1形が104号と106号、モハ2形が108号で、外見や装備品の細部に違いはあるものの、素人目にはほぼ同じ車両に見えます。

現代においては3両のみとなりましたが、最盛期には14両の旧型車が在籍し、モハ1形、モハ2形に加え、現在は存在しないモハ3形も造られています。
これらの3形式が製造された両数は15両でしたが、モハ1形の1両が早期に事故廃車となっており、全車両が揃って活躍することはありませんでした。

形式は分かれていますが、番号はそれを示すようにはなっておらず、製造順に付けられていることが特徴です。
登場時は1号等だった車両がありますが、最終的にはモハ1形が101号から107号まで、モハ2形が108号から112号まで、モハ3形が113号から115号までに整理されました。

なぜ形式が分かれているのか

最終的には同じような車両に整理されていましたが、なぜ形式は分けられているのでしょうか。
背景には、製造時期と足回りの違いがあり、造られた段階では明確な差がありました。

モハ1形は、1919年の開業時に日本車輌製造で造られ、アメリカ合衆国で製造された機器と台車を組み合わせました。
車体は木造でしたが、後に鋼体化が行われたことで、現在の姿へと変わっています。

1927年に増備車として登場したのがモハ2形で、日本車輌製造で3両が造られています。
木造車体であることはモハ1形と同様ながら、機器と台車はスイスで製造されたものに変更されました。

モハ2形は2回に分けて造られており、1935年に2両が追加されていますが、その際には1927年に輸入して保管していた機器と台車が使われています。
しかし、車体については普通鋼製に変更されており、製造メーカーも川崎車輛となりました。

ややこしいのはモハ3形で、こちらも1935年に川崎車輛で造られており、モハ2形の増備車と同じ普通鋼製の車体となっています。
しかし、足回りについては異なっており、多くを日本で製造したものでまかないました。

3形式に分かれた理由は、足回りの違いだったことになりますが、車体の更新等で結果的に外見が揃ったこともあり、分かりにくくなってしまったものです。
さらに、カルダン駆動化された車両等もあったため、さらにややこしい状態となってしまいました。

おわりに

足回りが異なることを理由として、製造時は別形式とされた箱根登山電車の旧型車。
車体や機器の更新をしつつ活躍をしたことで、形式が分かれている理由が分かりにくくなってしまいましたが、そんな背景も長寿車両ならではといえるかもしれませんね。