何らかのきっかけがあり、必要なタイミングで誕生する新型車両。
小田急の場合は、5年から10年以内に新形式が誕生することが多い印象で、現在は5000形が最新型となっています。
各形式が誕生したきっかけについてまとめていくシリーズですが、今回は2000形編です。
色々と歯車がかみ合わなかった形式ですが、誕生したのは必然でもありました。
当時はラッシュ時の増発や編成増強が限界に達しつつあり、中間に入る先頭車をなくすことで、少しでも収容力を高めたいというような状況だったのです。
このような背景から、2600形を8両に組み替える対応と並行して、1000形では8両と10両の固定編成が造られました。
分割併合があるため、10両固定編成を大量増備することはできませんでしたが、各駅停車で使用する8両は状況が異なり、さらなる増備が求められることとなります。

1992年度に1編成だけが造られた1000形の1081Fに続き、新造としては2編成目の8両固定編成として造られたのが、新形式となる2000形でした。
姿を見れば分かるとおり、1000形をベースに各所を改良した車両となっていますが、見た目以上に差異は多岐に渡ります。
2000形の増備により、編成単位での廃車はありませんでしたが、それには理由がありました。
8両固定編成に2600形を改造するためには、6両編成を2本使用する必要があり、減少する編成分を2000形が補うといったような構図になっています。
2600形自体の中間車を集め、VVVFインバーター制御化するといった荒業も行い、当時の小田急は固定編成化を必死で進めようとしていたのです。
1000形で8両固定編成を造りながらも、それをたった1編成だけで終わりにしてしまい、なぜ2000形へと移行したのかという点です。
もう少し造る計画があったという噂は耳にするため、どこかのタイミングで変更となり、新形式を造ることにした可能性はありえます。
1000形をマイナーチェンジしたように見える2000形ですが、車両の仕様上は小田急の思いを集約したような要素が強くなりました。
固定編成で造ることを前提としつつ、ワイドドア車の広すぎたドアの幅を最適化した点があげられ、後半に増備された1000形の要素を上手くまとめています。
しかし、1000形の中でも多種多様な編成が存在する中、新形式に移行する必要があったのには、別の理由もありました。
マイナーチェンジのように見える2000形ですが、足回りといった機器の面においては、全く別の車両といえる仕上がりになっています。
従来車との併結を前提にした1000形は、ブレーキのシステム等を合わせていましたが、当時の主流は電気指令式でした。
つまり、固定編成化により併結の考慮が不要になると、あえて古いシステムとする必要自体がなくなってしまうのです。
固定編成化により、設計の自由度が高まった2000形は、VVVFインバーターをIGBT素子を使用したものに変更し、同時にボルスタレス台車を採用する等、従来車とは全く異なる足回りの車両として完成しました。
2000形が誕生したきっかけには、固定編成化という流れと合わせて、車両のシステムを最新化したいという思惑もあったといえるでしょう。
少数世帯で終わり、ひたすら各駅停車を中心に活躍していますが、過渡期の小田急を象徴する車両であるともいえるように思います。
小田急の場合は、5年から10年以内に新形式が誕生することが多い印象で、現在は5000形が最新型となっています。
各形式が誕生したきっかけについてまとめていくシリーズですが、今回は2000形編です。
色々と歯車がかみ合わなかった形式ですが、誕生したのは必然でもありました。
固定編成化に舵を切った小田急
1編成を6両までとして、複数を繋ぐことで8両や10両としてきた小田急は、1990年代の前半に固定編成化へと舵を切りました。当時はラッシュ時の増発や編成増強が限界に達しつつあり、中間に入る先頭車をなくすことで、少しでも収容力を高めたいというような状況だったのです。
このような背景から、2600形を8両に組み替える対応と並行して、1000形では8両と10両の固定編成が造られました。
分割併合があるため、10両固定編成を大量増備することはできませんでしたが、各駅停車で使用する8両は状況が異なり、さらなる増備が求められることとなります。

1992年度に1編成だけが造られた1000形の1081Fに続き、新造としては2編成目の8両固定編成として造られたのが、新形式となる2000形でした。
姿を見れば分かるとおり、1000形をベースに各所を改良した車両となっていますが、見た目以上に差異は多岐に渡ります。
2000形の増備により、編成単位での廃車はありませんでしたが、それには理由がありました。
8両固定編成に2600形を改造するためには、6両編成を2本使用する必要があり、減少する編成分を2000形が補うといったような構図になっています。
2600形自体の中間車を集め、VVVFインバーター制御化するといった荒業も行い、当時の小田急は固定編成化を必死で進めようとしていたのです。
必然でもあったマイナーチェンジ
このような背景から誕生した2000形ですが、ここである疑問が浮かび上がります。1000形で8両固定編成を造りながらも、それをたった1編成だけで終わりにしてしまい、なぜ2000形へと移行したのかという点です。
もう少し造る計画があったという噂は耳にするため、どこかのタイミングで変更となり、新形式を造ることにした可能性はありえます。
1000形をマイナーチェンジしたように見える2000形ですが、車両の仕様上は小田急の思いを集約したような要素が強くなりました。
固定編成で造ることを前提としつつ、ワイドドア車の広すぎたドアの幅を最適化した点があげられ、後半に増備された1000形の要素を上手くまとめています。
しかし、1000形の中でも多種多様な編成が存在する中、新形式に移行する必要があったのには、別の理由もありました。
マイナーチェンジのように見える2000形ですが、足回りといった機器の面においては、全く別の車両といえる仕上がりになっています。
従来車との併結を前提にした1000形は、ブレーキのシステム等を合わせていましたが、当時の主流は電気指令式でした。
つまり、固定編成化により併結の考慮が不要になると、あえて古いシステムとする必要自体がなくなってしまうのです。
固定編成化により、設計の自由度が高まった2000形は、VVVFインバーターをIGBT素子を使用したものに変更し、同時にボルスタレス台車を採用する等、従来車とは全く異なる足回りの車両として完成しました。
2000形が誕生したきっかけには、固定編成化という流れと合わせて、車両のシステムを最新化したいという思惑もあったといえるでしょう。
おわりに
通勤型車両の決定版として誕生した2000形でしたが、複々線化の遅れ等が影響し、当初の想定どおりにはなりませんでした。少数世帯で終わり、ひたすら各駅停車を中心に活躍していますが、過渡期の小田急を象徴する車両であるともいえるように思います。


コメント
コメント一覧 (13)
2600の8連化は、とりあえず車体修理が完了していた事故編成2671Fを有効利用するために始まったように思えますが、当初の計画発表では6連×22編成(ただし2671Fは4輌のみ)を、8連14編成に組み替えるとされていました。
ところが2600の電動車ユニット(M1-M2-M3)は当然22組しかありませんから、8連化をTcM1M2M3M4M5M6Tcという編成で行うには、11編成しか組成できません。残り3編成分の電装品はどうするのだろうかというのは、当時から疑問でした。いっそNSEのものでも流用するのかとすら考えましたが、そんな複雑なことをするはずも無く、まさかのVVVF化編成を造ることでクリアする(新2666F)方針が明らかになりました。すると、抵抗制御×11編成、VVVF制御×3編成となるわけです。
2000形は計画は正式に発表されていた1082Fの代わりに登場した分を考えても、仮に2600が計画通りに8連化されていれば、東急の2000系同様の少ない輌数しか造られなかったかも?。
しかしそんな少輌数(例えば3編成だけとか)のために、本格的な地下鉄乗り入れ車規格の車輌を設計して、というのはやはり考えにくいとも思えますから、2600の8連化で不足する編成数を補うとすれば、やはり22-11=11編成程度製作するつもりだったのか…。でもそうすると、6連がかなり不足しないか…。6連を全て8連で代替するのはダイヤ上も無理?。
実際の2600の8連化計画は中止となり(新2656Fが登場した時同時にサハ2764を廃車していており、サハ2752を更新しないとVVVF化用のサハが不足することから、この時点で計画断念は明らか?)、さらにはせっかく8連化した2600を置き換えるために2000×8が6本造られたことを考えると、結局この計画は謎だらけと思います。
ワタシダ
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そこで8連は1081Fだけで製造を終わり、2000形(電気指令式ブレーキ採用)に移行した面もありますね。3000形6連は読替装置を搭載し、電磁直通ブレーキとの併結も可能になりました。
ワタシダ
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実際には千代田線直通にあたり6+4両編成でも当時は特に問題がなかったことや、2600形の組み換え中止と老朽取り換えが急務となったために、1081Fで取り入れられた旅客案内装置の搭載によるサービスアップを図りつつ新機軸を取り入れ、さらに将来の10両化と千代田線直通を視野に入れた2000形の製作に至ったと思われます。
ワタシダ
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209系の大半は10年程度で更新か廃車されましたし。
どうせ新形式にするなら車体構造を色々弄ってしまえという考えだと思います。
ワタシダ
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その後の小田急における通勤型車両の増備は3000形に移行し、結果的に2000形の増備は9編成に留まったため、旧4000形や9000形と並んで近年の小田急では異端形式の一つと謳われるようになりました。
ワタシダ
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ワタシダ
が
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