1960年に営業運転を開始し、小田急に本格的な高性能車の時代をもたらした2400形。
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2400形が導入されてから、1年と少しでここまで到達しており、輸送力増強が急ピッチで進められていたことがうかがえます。
編成に固有の特徴はありませんが、1次車とは外板と屋根板の厚さが異なり、2471Fは一般的な2.3mmと1.6mmを使用しました。
他の編成と同様に登場時は旧塗装で、後に種別幕の追加や塗装変更を行ったことで、外見は変化していきます。
1979年以降に小規模な車体の修繕を行っており、腰部の外板が貼り替えられました。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
2400形としては最末期まで残り、1989年1月19日の定期運行終了後に廃車となっています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2421:調査中
デハ2422:調査中
クハ2472:調査中
デハ2421:川崎車輛
デハ2422:川崎車輛
クハ2472:川崎車輛
デハ2421:1961年3月31日
デハ2422:1961年3月31日
クハ2472:1961年3月31日
デハ2421:1989年2月28日
デハ2422:1989年2月28日
クハ2472:1989年2月28日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2471Fの概要
1961年に登場した編成で、2400形としては11本目となりました。2400形が導入されてから、1年と少しでここまで到達しており、輸送力増強が急ピッチで進められていたことがうかがえます。
編成に固有の特徴はありませんが、1次車とは外板と屋根板の厚さが異なり、2471Fは一般的な2.3mmと1.6mmを使用しました。
他の編成と同様に登場時は旧塗装で、後に種別幕の追加や塗装変更を行ったことで、外見は変化していきます。
1979年以降に小規模な車体の修繕を行っており、腰部の外板が貼り替えられました。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
2400形としては最末期まで残り、1989年1月19日の定期運行終了後に廃車となっています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
クハ2471-デハ2421-デハ2422-クハ2472※左側が新宿方
製造区分
クハ2471:調査中デハ2421:調査中
デハ2422:調査中
クハ2472:調査中
製造所
クハ2471:川崎車輛デハ2421:川崎車輛
デハ2422:川崎車輛
クハ2472:川崎車輛
竣功日
クハ2471:1961年3月31日デハ2421:1961年3月31日
デハ2422:1961年3月31日
クハ2472:1961年3月31日
廃車日
クハ2471:1989年2月28日デハ2421:1989年2月28日
デハ2422:1989年2月28日
クハ2472:1989年2月28日
2471Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (12)
ワタシダ
が
しました
小田急の車両が風祭駅で行っていた特殊なドア扱いとは
https://odapedia.org/archives/1994116.html
ワタシダ
が
しました
一部区間10両化の時は、2300形等の6両も乗り入れていました。
乗る車両を間違えると、風祭で降りられ無くなります
今日7月28日は、神宮球場で、岩倉高校対関東第一の決勝が有ります。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ドアがステンレス製だった記憶があります。
他の編成は鋼製ドアなので特別な編成に感じました。
ワタシダ
が
しました
最後部に乗務する車掌以外に、客室に別の係員(車掌?)が乗って、
事前に「次の〇〇駅では、一番前の車両しかドアが開きません」と案内したうえで
このように1ヶ所だけドアコックを使用して開扉してましたね。
ワタシダ
が
しました