JR東海の御殿場線と相互直通運転を行うため、1991年に営業運転を開始した小田急20000形(RSE)。
小田急20000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
3000形(SE)と交代し、JR東海の御殿場線に乗り入れることを目的に登場しており、371系とともにあさぎり号を中心に活躍することとなります。
1991年3月16日に20002Fと同時に運用を開始し、御殿場線に乗り入れるあさぎり号を中心としつつも、はこね号等でも日常的に見ることができました。
これはあさぎり号の運用に必要なのが1編成だったことによるものですが、371系の検査時等にはRSEが代走するため、2編成が揃ってあさぎり号に充当されます。
登場から引退まで、基本的な使われ方は変化せず、晩年はホームウェイ号での活躍も見ることができました。
2012年3月16日をもって定期運行を終了し、それ以後は留置状態となります。
廃車は2012年8月のことで、先頭車の2両と中間車の1両が喜多見検車区内に保存されました。
その後、デハ20301は解体されてしまいましたが、ロマンスカーミュージアム内にデハ20001とサハ20151が展示されています。
※左側が新宿方
サハ20051:1次車
デハ20101:1次車
サハ20151:1次車
サハ20251:1次車
デハ20201:1次車
デハ20301:1次車
サハ20051:日本車輌製造
デハ20101:日本車輌製造
サハ20151:日本車輌製造
サハ20251:日本車輌製造
デハ20201:日本車輌製造
デハ20301:日本車輌製造
サハ20051:1990年12月24日
デハ20101:1990年12月24日
サハ20151:1990年12月24日
サハ20251:1990年12月24日
デハ20201:1990年12月24日
デハ20301:1990年12月24日
サハ20051:2012年8月3日
デハ20101:2012年8月3日
サハ20151:2012年8月3日
サハ20251:2012年8月3日
デハ20201:2012年8月3日
デハ20301:2012年8月3日
小田急20000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
20001Fの概要
2編成が造られたRSEの1本目で、1990年の終わりに竣功しました。3000形(SE)と交代し、JR東海の御殿場線に乗り入れることを目的に登場しており、371系とともにあさぎり号を中心に活躍することとなります。
1991年3月16日に20002Fと同時に運用を開始し、御殿場線に乗り入れるあさぎり号を中心としつつも、はこね号等でも日常的に見ることができました。
これはあさぎり号の運用に必要なのが1編成だったことによるものですが、371系の検査時等にはRSEが代走するため、2編成が揃ってあさぎり号に充当されます。
登場から引退まで、基本的な使われ方は変化せず、晩年はホームウェイ号での活躍も見ることができました。
2012年3月16日をもって定期運行を終了し、それ以後は留置状態となります。
廃車は2012年8月のことで、先頭車の2両と中間車の1両が喜多見検車区内に保存されました。
その後、デハ20301は解体されてしまいましたが、ロマンスカーミュージアム内にデハ20001とサハ20151が展示されています。
編成表
デハ20001-サハ20051-デハ20101-サハ20151-サハ20251-デハ20201-デハ20301※左側が新宿方
製造区分
デハ20001:1次車サハ20051:1次車
デハ20101:1次車
サハ20151:1次車
サハ20251:1次車
デハ20201:1次車
デハ20301:1次車
製造所
デハ20001:日本車輌製造サハ20051:日本車輌製造
デハ20101:日本車輌製造
サハ20151:日本車輌製造
サハ20251:日本車輌製造
デハ20201:日本車輌製造
デハ20301:日本車輌製造
竣功日
デハ20001:1990年12月24日サハ20051:1990年12月24日
デハ20101:1990年12月24日
サハ20151:1990年12月24日
サハ20251:1990年12月24日
デハ20201:1990年12月24日
デハ20301:1990年12月24日
廃車日
デハ20001:2012年8月3日サハ20051:2012年8月3日
デハ20101:2012年8月3日
サハ20151:2012年8月3日
サハ20251:2012年8月3日
デハ20201:2012年8月3日
デハ20301:2012年8月3日
20001Fの写真


コメント
コメント一覧 (6)
RSEは、当時の世相を映した車輌といえるかと思います。バブル時代の末期にさしかかってたとはいえ、構想段階では贅沢さを要望されていたため、伝統の連接構造を捨てる代わりに二階建て構造を取り入れつつ、HiSEのハイデッカー構造は踏襲。ロマンスカーとしての系譜と新しさを演出していた気がします。
個人的には、イベントで運良く運転席に座らせていただくことが出来たので、少なからず思い入れがあったりします。
時間をつくって定期運行末期(引退直前)に乗車したとき、なんともいえない幸福感に包まれたのを覚えています………
ワタシダ
が
しました
そのユニフォームのカラーをRSEに採用したのです。
同クラブは無くなりましたが、今でも毎年行われる神奈川県婦人小田急やま
ゆり杯バレーボール大会の協賛しています。
ワタシダ
が
しました
仮に、自分が子供時分に1910形が特急仕様に復元されていたとして、見に行きたいと親にねだったかといえば、無いよなー
ワタシダ
が
しました
今までの小田急にない色合いでそれが気に入ってた。
上品さがある。
正直申し訳ないけど、
今も富士急で走ってるあの姿を見ると悲しくなってしまう。
ワタシダ
が
しました