鉄道車両における新形式は、技術の進歩やその時々の事情を反映し、主に従来車を置き換えるために誕生します。
小田急においても同様ですが、近年は単純な置き換え用としての色が濃くなり、強い個性を放つ通勤型車両は生まれにくくなりました。
シリーズ化してまとめている、各形式が誕生したきっかけの記事ですが、今回は回顧編です。
当時の状況が色濃く反映していた2600形について、今回は振り返りたいと思います。
2600形は小田急初の本格的な大型車であり、その後の標準となる全長20mの車体を採用しました。
小田急初の本格的なという表現をしましたが、全長20mの通勤型車両自体は前例があります。
しかし、いずれも払い下げ等の事情が背景にあった車両であり、小田急は17.5m級を基本としていました。
2600形はその基本を大きく変えた車両となっており、以降に登場する通勤型車両は全て20m車とされています。

大型化は幅の面でも行われ、2.9mとするために拡幅車体を採用しました。
裾を絞ったスタイルは小田急らしさの象徴となり、2000形まで脈々と続くこととなります。
収容力の最大化という視点は、車体の大きさ以外にも表れており、通勤型車両としては最大の5両編成を組んでの登場でした。
元々6両化の予定はあったものの、登場当時はホームの長さが足りなかったため、後に中間車を追加する前提で5両とされました。
大きな車両を造ること自体は難しくありませんが、設備の状況やダイヤの都合が2600形という車両を生み出しました。
2600形を5両編成で造ることができたのは、裏を返せば近郊区間内の駅において、ホームがその長さに対応できたということです。
実現はしなかったものの、小田急は2400形を登場させる頃にも大型化の検討をしており、ホームの長さが短かったことを理由に断念していました。
車体を大きくしなくても、その分だけ両数を増やせばよいようにも思いますが、ドア数の増やしやすさという違いがあります。
20m車にすれば、1両の片側に4ヶ所のドアを配置できるため、乗降の効率を高めることも可能だったのです。
ダイヤの面においては、朝のラッシュ時に平行ダイヤが導入されたという背景もありました。
列車の本数を増やすことができなくなり、ホームの延長にも一定の時間を要することを踏まえれば、1両の収容力を最大化するメリットは大きいものでした。
大型車が当たり前となり、長編成化も進んでいく過程では、2600形の使い方にも変化が見られ、晩年は優等列車での活躍も目立つこととなります。
小田急においても同様ですが、近年は単純な置き換え用としての色が濃くなり、強い個性を放つ通勤型車両は生まれにくくなりました。
シリーズ化してまとめている、各形式が誕生したきっかけの記事ですが、今回は回顧編です。
当時の状況が色濃く反映していた2600形について、今回は振り返りたいと思います。
収容力を最大化した2600形
全電動車方式の高性能車として2200形を生み出し、後継車では経済的な設計の2400形を大量増備した小田急ですが、1964年には2600形という車両を登場させます。2600形は小田急初の本格的な大型車であり、その後の標準となる全長20mの車体を採用しました。
小田急初の本格的なという表現をしましたが、全長20mの通勤型車両自体は前例があります。
しかし、いずれも払い下げ等の事情が背景にあった車両であり、小田急は17.5m級を基本としていました。
2600形はその基本を大きく変えた車両となっており、以降に登場する通勤型車両は全て20m車とされています。

大型化は幅の面でも行われ、2.9mとするために拡幅車体を採用しました。
裾を絞ったスタイルは小田急らしさの象徴となり、2000形まで脈々と続くこととなります。
収容力の最大化という視点は、車体の大きさ以外にも表れており、通勤型車両としては最大の5両編成を組んでの登場でした。
元々6両化の予定はあったものの、登場当時はホームの長さが足りなかったため、後に中間車を追加する前提で5両とされました。
収容力を重視した背景
利用者が爆発的に増加していた当時、車両の大型化は必須事項だったといえますが、収容力を重視した背景はどういったものだったのでしょうか。大きな車両を造ること自体は難しくありませんが、設備の状況やダイヤの都合が2600形という車両を生み出しました。
2600形を5両編成で造ることができたのは、裏を返せば近郊区間内の駅において、ホームがその長さに対応できたということです。
実現はしなかったものの、小田急は2400形を登場させる頃にも大型化の検討をしており、ホームの長さが短かったことを理由に断念していました。
車体を大きくしなくても、その分だけ両数を増やせばよいようにも思いますが、ドア数の増やしやすさという違いがあります。
20m車にすれば、1両の片側に4ヶ所のドアを配置できるため、乗降の効率を高めることも可能だったのです。
ダイヤの面においては、朝のラッシュ時に平行ダイヤが導入されたという背景もありました。
列車の本数を増やすことができなくなり、ホームの延長にも一定の時間を要することを踏まえれば、1両の収容力を最大化するメリットは大きいものでした。
おわりに
近郊区間の各駅停車に集中投入され、2600形は持ち前の収容力を活かして活躍しました。大型車が当たり前となり、長編成化も進んでいく過程では、2600形の使い方にも変化が見られ、晩年は優等列車での活躍も目立つこととなります。


コメント
コメント一覧 (15)
ワタシダ
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右肩上がりの音なんだけど、今のインバータ音とは違って、また当時の他社にもない独特音だった と記憶しています。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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見合わせしています。
江ノ電も全線運転見合わせしています。小田急は藤沢〜片瀬江ノ島間で運転見合わせしてい
ますが、安全が確認できたら運転再開するそうです。
藤沢以北、小田原線、多摩線は運転しています。
2600形は雨等レールが濡れると、上り坂な胴締めでクシャミをして、遅延が発生します。
ワタシダ
が
しました
それまでは東急は18m3ドアで、日比谷線直通時に東武や営団が20mを導入したかったのに18m3ドアという決まり事を作らせてしまった感ありますね…それでも日比谷線のトンネルは信号機や標識移設など少し手を加えるだけで20m対応可能と改めて判明し、全車両が13000系・70000系・70090系に置き換えられて現在に至ります。
余談ですが、銀座線の車両は16mですが01系からはドアピッチを変更(車端部の座席を4人掛けにしドア間を7人掛け(現1000系ではドア間間隔そのままに6人掛けとし座幅とドア脇立ちスペースを拡大))したため、車体が短く感じて、15m(名古屋市地下鉄東山線や横浜市地下鉄グリーンラインとほぼ同様のサイズ)級としばしば錯覚されるんですね(笑)
ワタシダ
が
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20数年前の事ですが、デカデカ側面種別幕に「湘 南 急 行」と掲げて爆走する姿が今でも印象に残っています。
ワタシダ
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初電の上り準急でかぶりつきしてたとき、町田発車後、恩田川橋梁の手前の下り坂で回生失効したことあってさすがに運転士もたまらず立ち上がって保安ブレーキ入れてた。
N8は電空スイッチをいじったという話で40キロでの空走もだいぶマシになってたし、後年残った6連もかなり大人しくなった。90年代前半までのドカンと抜ける回生失効が今となっては懐かしい
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
が
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晩年は別として、多形式との分割併合は行っていませんでしたし、1980年代のどこかだったと思いますが、分割併合運用に入るようになった時に驚いた記憶があります。
記憶が正しければ箱根湯本には入らないことになっていませんでしたっけ?
ワタシダ
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