小田急の起点となる駅であり、1日を通して多くの列車が発着する新宿駅。
上り列車は多くが新宿行きとして運転され、行先の表示としても目にする機会が多いのではないでしょうか。

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副都心として多くの人々が行き交う新宿ですが、そもそも地名の由来はどういったものなのでしょうか。

宿場によって発展した新宿

地上と地下にホームが分かれる小田急の新宿駅ですが、その上には甲州街道(国道20号)が通っています。
通称として現在も使われる甲州街道は、元々江戸幕府が整備した五街道の一つであり、現在の山梨県までを結びました。

自動車がない時代において、人や物の移動には多大な時間を要したため、旅人が休むこと等を目的として、五街道にはそれぞれ宿場が置かれています。
甲州街道には、起点の日本橋、続いて高井戸に宿場が置かれましたが、やや距離があり旅人にとっては厳しいものだったそうです。

日本橋から高井戸までの距離は16km程度ですが、東海道で宿場が置かれた日本橋から品川までは8km程度で、倍近くとなっていました。
そこで、日本橋と高井戸の中間地点に新たな宿場を設けることとなり、それが後に小田急の起点となる新宿でした。
地図で新宿の位置を確認すると、確かに日本橋と高井戸の中間付近となっており、そんな距離感からも歴史を感じることができます。

内藤新宿から新宿へ

地名や駅名に「宿」という字が入り、宿場と関連していることは分かりましたが、「新宿」へと至ったのはなぜなのでしょうか。
宿場が新たに置かれた際、そこは内藤新宿と呼ばれており、それが現在の新宿へと繋がっています。

内藤新宿と呼ばれた場所には、元々信濃高遠藩の藩主である内藤氏の下屋敷地がありました。
現在の新宿御苑一帯がそれにあたり、そこに置かれた新しい宿場であることから、内藤新宿と呼ばれることになります。

時代は進み、1885年に現在の山手線となる路線が開業し、新宿駅が開業しました。
今となっては信じられませんが、開業当時の新宿駅は1日の利用者が50人程度で、街外れにある小さな駅の一つでした。
駅名は開業時から新宿ですが、内藤新宿が置かれた新宿御苑付近とは少し離れていることが分かります。

内藤が外れ、新宿と呼ばれるようになったのがいつなのか、そのあたりは調べてみてもよく分からなかったのですが、駅の位置自体が内藤新宿とは若干異なります。
新宿という駅名は内藤新宿に由来しますが、宿場自体が過去のものとなり、地名も含めて「新宿」が残ったということなのでしょうかね。

おわりに

小田急が新宿駅を起点として開業するのは、駅ができてから42年後の1927年のことでした。
その日から100年近くが経過した現在、新宿駅では盛んに再開発が進められており、これからも新たな歴史を刻んでいくことになります。