相模大野駅を分岐し、藤沢駅を経由して片瀬江ノ島駅までを結ぶ小田急の江ノ島線。
直線区間が多い江ノ島線は、小田原線よりも快調に走行できる路線となっており、優等列車の乗車時には強くそれを感じることでしょう。

そんな江ノ島線ですが、開業前の段階では藤沢線と片瀬線に分かれていました。
二つの路線が江ノ島線としてまとまるまで、計画から開業までの経緯を振り返りたいと思います。
以前は全線を通して走る列車が主流でしたが、現在は藤沢駅を境に運行が分断され、末端区間は折り返し運転が行われるようになりました。
運行は分断されつつも、全線が江ノ島線であることは現在も変わりませんが、意外にも開業前の段階では、別々の路線として建設が進められました。
相模大野駅から藤沢駅間が藤沢線、藤沢駅から片瀬江ノ島駅間が片瀬線と称されますが、開業時には全線を江ノ島線とし、それが現在まで続いていることとなります。
まだ小田原線すら開業していない1923年2月16日に、新原町田(現在の町田)駅から分岐し、辻堂から鵠沼を経て片瀬までの新線となる、江ノ島線を出願しました。
この出願は1924年7月20日に却下となってしまい、9月9日には早くも再出願を行うも、2回目も1925年9月15日に却下となります。
却下の理由は、小田原線が未着工の状態での計画について、その時期ではないといったものでした。
しかし、藤沢駅から先では現在の江ノ電が既に開業しており、辻堂付近では他の会社の計画路線と競合している状況でした。
このような背景があったことから、1926年6月30日には出願内容を変更し、相模大野から藤沢間の藤沢線とされました。
変更の結果もあってか、10月4日には藤沢線の免許が得られることとなります。
藤沢から先については、1926年11月28日に片瀬までの片瀬線として出願されました。
競合していた先願路線については、資金難等により着工目途が立っておらず、小田急の計画は早期に実現する可能性が高かったことから、1927年12月27日に免許されることとなります。
免許では分かれていた二つの路線ですが、出願の経緯によるところが大きかったこともあってか、最初の出願時と同じ江ノ島線として一本化され、藤沢線や片瀬線として営業することはありませんでした。
こうして1928年に江ノ島線が開業し、早くも多摩線を除く小田急の路線が形成されることとなりました。
藤沢駅を境に運行が分断されてしまったため、藤沢線と片瀬線に分かれたままのほうが、案内しやすかったかもしれないという、やや皮肉な結果となってしまいました。
直線区間が多い江ノ島線は、小田原線よりも快調に走行できる路線となっており、優等列車の乗車時には強くそれを感じることでしょう。

そんな江ノ島線ですが、開業前の段階では藤沢線と片瀬線に分かれていました。
二つの路線が江ノ島線としてまとまるまで、計画から開業までの経緯を振り返りたいと思います。
取得に苦戦する江ノ島線の免許
1929年に開業した江ノ島線は、藤沢駅でスイッチバックを行いつつ、相模大野駅から片瀬江ノ島駅間を結んでいます。以前は全線を通して走る列車が主流でしたが、現在は藤沢駅を境に運行が分断され、末端区間は折り返し運転が行われるようになりました。
運行は分断されつつも、全線が江ノ島線であることは現在も変わりませんが、意外にも開業前の段階では、別々の路線として建設が進められました。
相模大野駅から藤沢駅間が藤沢線、藤沢駅から片瀬江ノ島駅間が片瀬線と称されますが、開業時には全線を江ノ島線とし、それが現在まで続いていることとなります。
まだ小田原線すら開業していない1923年2月16日に、新原町田(現在の町田)駅から分岐し、辻堂から鵠沼を経て片瀬までの新線となる、江ノ島線を出願しました。
この出願は1924年7月20日に却下となってしまい、9月9日には早くも再出願を行うも、2回目も1925年9月15日に却下となります。
却下の理由は、小田原線が未着工の状態での計画について、その時期ではないといったものでした。
区間によって免許の時期が異なる江ノ島線
2回目の却下後、9月28日には早くも3回目の出願が行われます。しかし、藤沢駅から先では現在の江ノ電が既に開業しており、辻堂付近では他の会社の計画路線と競合している状況でした。
このような背景があったことから、1926年6月30日には出願内容を変更し、相模大野から藤沢間の藤沢線とされました。
変更の結果もあってか、10月4日には藤沢線の免許が得られることとなります。
藤沢から先については、1926年11月28日に片瀬までの片瀬線として出願されました。
競合していた先願路線については、資金難等により着工目途が立っておらず、小田急の計画は早期に実現する可能性が高かったことから、1927年12月27日に免許されることとなります。
免許では分かれていた二つの路線ですが、出願の経緯によるところが大きかったこともあってか、最初の出願時と同じ江ノ島線として一本化され、藤沢線や片瀬線として営業することはありませんでした。
こうして1928年に江ノ島線が開業し、早くも多摩線を除く小田急の路線が形成されることとなりました。
おわりに
競合路線が絡む複雑な状況を考慮し、藤沢線と片瀬線に路線を分けて出願された江ノ島線。藤沢駅を境に運行が分断されてしまったため、藤沢線と片瀬線に分かれたままのほうが、案内しやすかったかもしれないという、やや皮肉な結果となってしまいました。


コメント
コメント一覧 (14)
片瀬江ノ島駅方面からは藤沢でJRに乗り換えるか快速急行に乗り換えるのが大多数ですので。
石名坂の温水プールや湘南台文化センターに行くときなどは片瀬江ノ島発各駅停車町田行きに乗りましたが、感覚としては「各駅停車藤沢行き、藤沢から各駅停車町田行き」の直通列車に乗っている気持ちでした。
ワタシダ
が
しました
江ノ島線車両含め、車両の冷房化が進む中、最後のさいごまで【扇風機車両をあてがわれた路線】です。
しかも、もっとも混む時間帯に「木床車両」運行。
それに駅舎の完成建築具合みれば、一目瞭然ですよ。
小田原駅をみてください、そして藤沢駅を見てください。【カネの掛け方の違い】、あれ何ですかね。
明確に小田原線は本線・江ノ島線は【支線】て態度、
そんな露骨な態度とる鉄道に地元民が愛着わくワケがない。
他でも言いましたが、地元民には不評なる鉄道です。駅員が明言します【地元の方はドーセJR乗るので】と。反逆社員、いないのかな。
ワタシダ
が
しました
東海土地電気には免許が一応下りていたため、片瀬江ノ島駅も「仮駅」とせざるを得なかったのですが、実際には資金的に大船-茅ヶ崎線は建設できそうに無いと小田原急行は判断していたようです。
仮にこの大船-茅ヶ崎線が開通した場合、小田原急行としては片瀬江ノ島駅を現在の片瀬東浜付近に移設し、江之島電気鉄道線(現在線ではなく、新設線)と連絡となっていたでしょう。さらに空中電鉄が江ノ島島内に開通していれば、それとも連絡する一大ジャンクションになっていた可能性も。
ワタシダ
が
しました
現在の江ノ島線の運行形態からすれば藤沢を境に相模大野方を藤沢線、片瀬江ノ島方を片瀬線と正式に路線名を分けることもできなくはないですが、もし藤沢以北に限り路線愛称をつけるとしたらどんな愛称がつけられたのでしょうか?
ワタシダ
が
しました
ただ(将来性の見通しはかなり困難だとはいえ)藤沢駅のスイッチバック構造は2面4線などもう少し余裕を持って設計して欲しかったですね。
今の2面3線で各停用に江ノ島方面へ1線、新宿方面に1線と割り振ると優等列車の発着が両方向とも1線を共有するしかないので。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました