小田急で約35年に渡って活躍し、1981年に引退した1800形。
国鉄の63形をルーツとした車両で、後に台枠を流用して車体を一新していますが、切妻のスタイルに種車の面影が色濃く残っていました。
引退した1800形は、形式を800系に改めて秩父鉄道で活躍しましたが、何両がどのように譲渡されたのでしょうか。
1900形等が早期に引退していく中、1800形は大きな車体を活かして活躍を続けますが、1979年から1981年にかけて数を減らしていくこととなります。
モーター等を4000形に流用するため、小田急から他社に譲渡された吊り掛け駆動の車両は、足回りを交換することが基本でした。
1800形は他の車両とモーターが異なっていたことから、4000形に部品を流用する必要がなく、ほぼそのままの状態で秩父鉄道に譲渡されることとなりました。

写真提供:小田急指令掛川様
秩父鉄道では、形式を改めて800系を名乗ることになりましたが、これは1800形から千の位を外したものとなっています。
外見はほぼ小田急時代のままとなっており、カラーリングが変更されていること以外は、ほぼ1800形そのものといった状態でした。
小田急時代と同様に、秩父鉄道でも2両を2本繋いだ4両編成で使用され、先頭に立つ車両も固定されていました。
電気連結器は取り外されていましたが、小田急で撤去された56芯ジャンパ連結器が復活しており、その点では少し異なる表情となっています。
両数だけで見ればそこまで多いとはいえませんが、小田急ファンにとっては嬉しい展開だったといえるでしょう。
譲渡の両数については、1811Fを除く20両の譲渡が予定されていたともいわれます。
それを裏付けるかのように、1811Fは部品取り車として譲渡され、800系として活躍するのは最終的に20両となりました。
小田急時代の番号から千の位を外した番号となった800系ですが、1編成だけ例外が存在します。
それは第6編成となる806Fで、小田急時代の1811Fが番号を変更しており、実際の部品取り車は1806Fに変更されていました。
部品取り車を変更した理由は不明ですが、車両の状態がよかったであるとか、小田急時代と同様にどちら向きでも先頭に立てるという点が、選ばれた理由なのかもしれません。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
多くの路線で72系(63形の改造車も含む)を置き換えた101系が、結果的に秩父鉄道でも元63形を引退に追い込んだのは、何か不思議な縁を感じるものでもあります。
国鉄の63形をルーツとした車両で、後に台枠を流用して車体を一新していますが、切妻のスタイルに種車の面影が色濃く残っていました。
引退した1800形は、形式を800系に改めて秩父鉄道で活躍しましたが、何両がどのように譲渡されたのでしょうか。
秩父鉄道で800系となった1800形
出自の違いにより、他形式とは異なる面が多かった1800形は、1981年まで小田急で活躍しました。1900形等が早期に引退していく中、1800形は大きな車体を活かして活躍を続けますが、1979年から1981年にかけて数を減らしていくこととなります。
モーター等を4000形に流用するため、小田急から他社に譲渡された吊り掛け駆動の車両は、足回りを交換することが基本でした。
1800形は他の車両とモーターが異なっていたことから、4000形に部品を流用する必要がなく、ほぼそのままの状態で秩父鉄道に譲渡されることとなりました。

写真提供:小田急指令掛川様
秩父鉄道では、形式を改めて800系を名乗ることになりましたが、これは1800形から千の位を外したものとなっています。
外見はほぼ小田急時代のままとなっており、カラーリングが変更されていること以外は、ほぼ1800形そのものといった状態でした。
小田急時代と同様に、秩父鉄道でも2両を2本繋いだ4両編成で使用され、先頭に立つ車両も固定されていました。
電気連結器は取り外されていましたが、小田急で撤去された56芯ジャンパ連結器が復活しており、その点では少し異なる表情となっています。
全22両の譲渡と活躍した20両
最終的に22両となっていた1800形は、廃車後に全ての車両が秩父鉄道に譲渡されました。両数だけで見ればそこまで多いとはいえませんが、小田急ファンにとっては嬉しい展開だったといえるでしょう。
譲渡の両数については、1811Fを除く20両の譲渡が予定されていたともいわれます。
それを裏付けるかのように、1811Fは部品取り車として譲渡され、800系として活躍するのは最終的に20両となりました。
小田急時代の番号から千の位を外した番号となった800系ですが、1編成だけ例外が存在します。
それは第6編成となる806Fで、小田急時代の1811Fが番号を変更しており、実際の部品取り車は1806Fに変更されていました。
部品取り車を変更した理由は不明ですが、車両の状態がよかったであるとか、小田急時代と同様にどちら向きでも先頭に立てるという点が、選ばれた理由なのかもしれません。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
秩父鉄道に譲渡された1800形ですが、1989年には早くも廃車が開始され、JR東日本等から入線した元101系である1000系に置き換えられました。多くの路線で72系(63形の改造車も含む)を置き換えた101系が、結果的に秩父鉄道でも元63形を引退に追い込んだのは、何か不思議な縁を感じるものでもあります。


コメント
コメント一覧 (18)
同じ4両でも、全長が10メートルも短くなれば当然ですよね。
当時は新宿方面の急行や準急の殆どが冷房車両だったのを、恨めしく眺めていましたよ。
ワタシダ
が
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そもそも1811Fは1820系からの改造改番車で、元は省モハ42とモハ60でしたので、台枠を流用しにくかった(寸法や形状がかなり異なる)ため、この2輌の1800への編入に際しては、台枠を新製したのです。
一方台車は元のものを流用したので、クハ1861の台車はTR25C(つまりDT12のコロ軸受け化改造)になっていて、元のモハ60由来のものらしく、台車枠両端にクレーン掛けがあるタイプになっていました。
ワタシダ
が
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今後、秩父鉄道では5000系(元都営6000形)の去就が気になるところですが、果たしてどの車両によって置き換えられるのか気になるところです。私としての予想ですが、西武から101系を譲受した実績から新2000系あたりになりそうです(あるいは京王7000系とか小田急からなら8000形とかもありそうですね(笑)でも前者は台車を取り替える必要ありますし、後者もある程度廃車された以上微妙な気がしますね…)。
ワタシダ
が
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秩父路の風景によく似合っていました。
ワタシダ
が
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因みに800系(1800形)廃車時に、1000系にデッドマン機能付きマスコンと種別幕の一部が流用されていますね。
ワタシダ
が
しました