38年もの長期に渡って活躍し、2018年に惜しまれつつ引退した小田急の7000形(LSE)。
3000形(SE)から続く伝統のカラーリングを纏った最後の車両で、現在は先頭車がロマンスカーミュージアムに保存されています。

11両の連接車とされ、3100形(NSE)の流れを踏襲したLSEですが、検討段階では短編成の構想が存在しました。
実現しなかった構想は、どういったものだったのでしょうか。
背景には、国鉄の御殿場線に乗り入れるSEの陳腐化があり、置き換えを検討する時期となっていました。
SEの置き換えにあたっては、NSEを短編成化して充てる案や、20m級のボギー車を4両編成で新造する案等があり、様々な角度から検討が進められたようです。
新型ロマンスカーの構想は徐々に具体化し、LSEの誕生に向かって進んでいくこととなります。
車両の開発が具体化していく中で、未知数的なよい特急車を造るという意味を込めて、XE車検討会というチームがつくられました。
NSEの短編成化案がいつ頃まで残っていたのかは不明ですが、最終的には新造によってSEを置き換える方向になったようで、XEは長短の両編成で検討が進められることとなります。
こうして2パターンの車両が検討されることとなりますが、基本の構想は同一とされました。
短い編成はSXE、長い編成はLXEとされ、前者はSHORTを示し、後者はLONGを表しています。
列車の増発や、利用者が求めるサービス水準への適応が優先され、まずは長編成の車両を導入し、SEの置き換えはその後という方針となります。
このような過程を経て、NSEと同じ11両の連接車が造られ、LSEという愛称が与えられることとなりました。
LSEのLはLUXURYを意味しており、サービスの向上を意図していた車両であることが反映されています。
奇しくも、構想段階で存在したLONGにも通ずる部分があるのは、ただの偶然なのでしょうか。
最終的に4編成が出揃ったLSEですが、SXEと呼ばれた短編成バージョンが登場することは、最後までありませんでした。
老朽化が進んでいたSEは、更新により延命が図られることとなり、当初の目的は完全に失われていきます。
このような結果となった背景には、当時の国鉄側の事情が影響しているといわれ、短編成のLSEは幻となってしまいました。
短編成のLSEが実現していたら、いったいどんな車両に仕上がっていたのでしょうね。
3000形(SE)から続く伝統のカラーリングを纏った最後の車両で、現在は先頭車がロマンスカーミュージアムに保存されています。

11両の連接車とされ、3100形(NSE)の流れを踏襲したLSEですが、検討段階では短編成の構想が存在しました。
実現しなかった構想は、どういったものだったのでしょうか。
構想段階で存在した「SXE」と「LXE」
NSEが登場して以降、沿線人口の激増により新型ロマンスカーどころではなくなった小田急ですが、1970年代の後半になるとそういった機運が高まってきます。背景には、国鉄の御殿場線に乗り入れるSEの陳腐化があり、置き換えを検討する時期となっていました。
SEの置き換えにあたっては、NSEを短編成化して充てる案や、20m級のボギー車を4両編成で新造する案等があり、様々な角度から検討が進められたようです。
新型ロマンスカーの構想は徐々に具体化し、LSEの誕生に向かって進んでいくこととなります。
車両の開発が具体化していく中で、未知数的なよい特急車を造るという意味を込めて、XE車検討会というチームがつくられました。
NSEの短編成化案がいつ頃まで残っていたのかは不明ですが、最終的には新造によってSEを置き換える方向になったようで、XEは長短の両編成で検討が進められることとなります。
こうして2パターンの車両が検討されることとなりますが、基本の構想は同一とされました。
短い編成はSXE、長い編成はLXEとされ、前者はSHORTを示し、後者はLONGを表しています。
11両の連接車だけが登場したLSE
元々はSEの置き換えが目的だった新型特急車ですが、検討が進む中で優先度は変化していきました。列車の増発や、利用者が求めるサービス水準への適応が優先され、まずは長編成の車両を導入し、SEの置き換えはその後という方針となります。
このような過程を経て、NSEと同じ11両の連接車が造られ、LSEという愛称が与えられることとなりました。
LSEのLはLUXURYを意味しており、サービスの向上を意図していた車両であることが反映されています。
奇しくも、構想段階で存在したLONGにも通ずる部分があるのは、ただの偶然なのでしょうか。
最終的に4編成が出揃ったLSEですが、SXEと呼ばれた短編成バージョンが登場することは、最後までありませんでした。
老朽化が進んでいたSEは、更新により延命が図られることとなり、当初の目的は完全に失われていきます。
このような結果となった背景には、当時の国鉄側の事情が影響しているといわれ、短編成のLSEは幻となってしまいました。
おわりに
LSEが登場する前から置き換えが計画されたSEは、結果的に1991年まで定期運用に使用され続けることとなります。短編成のLSEが実現していたら、いったいどんな車両に仕上がっていたのでしょうね。


コメント
コメント一覧 (16)
小田急については、「展望車を入れるなら、直通廃止だ」と言われたという記録があります。ここで注目するべきは、「直通」という表現。相手が国鉄の場合「乗り入れ」という表現は嫌われたようなので、使わないように、折衝の場などで注意していたとのこと。したがってNSEのショート化、S-LSEの製造も、この時点で廃案となるしか無かったのでしょう。2階にある運転室への出入りが面倒というのは、実は全く根拠がありません。だって、国鉄の運転士は、小田急の車輌を運転することは無いのですから。
パノラマエクスプレスアルプスだって、国鉄時代の末期登場ですよ。
さらに波動用の167系を定期運用に付けることで「あさぎり」の前後にわざわざ設定した急行「ごてんば」。あれもどうかと思いますよね。小田急を御殿場線から追い出したい意図が見え見え…。
この乗り入れ廃止を強く言われた鉄道としては、他に南海電鉄があります。DCキハ5500系で乗り入れをしていた南海電鉄ですが、国鉄の電化も進み、冷房化が進む中で、キハを廃止し、乗り入れ車を電車に置き換えて新車にしたいと考えたようです。しかし、国鉄の回答は想像を絶するもので、「直通継続なら、485系を買え。それを直通車にしろ。新車などもってのほか」と。南海はさすがにそんな条件を吞むことは出来ず、「きのくに」号の国鉄乗り入れ運転は廃止されたのでした。
一応小田急はかなり古いSSEを更新して使用継続するという方法で、直通を維持出来ましたが、民営化直前という背景を考えても、ずいぶん当時の国鉄は乱暴なことを考えていたものだと思います。「親方日の丸意識」でしょうか。
もっとも、それが今はJR各社の「儲け主義」につながっていて、民営化が成功したとは言いがたい気もします。
ワタシダ
が
しました
翌年、第2編成登場という記事の写真には短編成で写っていたので「あさぎり」用かな?と思っていたら
その後川重で中間車を挿入されて11連で落成していました…
いずれもファン誌のモノクロ写真を食い入るように見ていた頃の話です
後年様々な経緯を知った事もあり、LSEとあさぎりには他車には無い縁を感じてしまいます。
ワタシダ
が
しました
松田での乗務員交代の際に2階に運転台のあるLSEに「交代が面倒」と難色を示した国鉄
結局、RSEが誕生するまでSEを延命工事してSSEとして使い続ける事になったと
(当時の国鉄の規則で特急には食堂車の連結が必須だったので、小田急線内では連絡急行・御殿場線内では急行)
余談ですが
長野電鉄に行ったHiSEは湯田中駅で特急は必ず行っていた面倒なスイッチバックをしなくても入線出来るように
駅を大改造して2面2線だった構内を線路を1面1線の棒線駅にしたほど。(HiSEを長電の看板列車にするため)
【2006年までは駅ホームの真ん中にポイントがあった関係で特急は一旦駅を通過してスイッチバックしていた】
【ポイントの位置のイメージとしては修善寺行き踊り子号の発着するJR三島駅のホームのような感じ】
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
是非とも見てみたかったなあ。
あと沼津直通も。
ワタシダ
が
しました
もしもこの時にショートLSEが作られたら、後のRSEは?あさぎり重連の代わりに11連LSEが?等々が興味深いです。
ワタシダ
が
しました
LSEが登場した頃は国鉄の財政悪化も重なり、御殿場線直通ロマンスカーの代替どころではなかったこともあったのでしょう(名鉄の高山本線直通列車用特急型車両の置き換えが遅れたのも同様の事情が関係しており(その後置き換えは行われたものの利用客数減少で廃止)、南海の紀勢本線直通列車も利用客数減少と国鉄の財政事情が悪化したことも少なからず影響しとるのかもしれませんね)。それを考えるとLSEは11両の長編成のみが増備され、初代SEを延命させたのも納得できますが、結果的に民営化直後までその置き換え時を待つことになりました。
ワタシダ
が
しました
結果的には後々のことを考えるとLSEの短編成版は幻に終わって良かったのではないかと思います。
20mボギー車の4両編成も構想にあったとのことですが、現状のふじさんの乗車率ではMSEの4両編成でも良さそうですね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました