戦後の混乱期に国鉄の63形を割り当てられ、改造を重ねつつ長く活躍した小田急の1800形。
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
厚木線は現在の相鉄本線で、当時は大東急が経営を委託されていました。
1800形は6編成が厚木線に貸与され、後に3編成が正式に譲渡されていますが、1805Fは1947年7月28日に返却されています。
他の編成と同様に、導入当初は63形そのものといった状態でしたが、可能な範囲で都度の改修が行われ、戦時設計特有の状態は少しずつ改善されました。
後に抜本的な対応が行われることとなり、台枠を流用して全金属製車体に更新され、切妻のデザインはそのままながら、小田急らしい車両へと変化していきます。
このような対応は国鉄でも行われており、同じような道を歩むこととなりました。
その後も細部の改良を行いつつ、大きな車体を活かして運用され、晩年は1806Fと半固定編成化されます。
この対応により、先頭に出るのは基本的にデハ1805のみとなり、後に方向幕の自動化等が行われています。
1980年に廃車となりましたが、その後は秩父鉄道で800系として活躍しました。
小田急でペアを組んでいた1806Fは、秩父鉄道で部品取り後に解体されたため、譲渡時に唯一相棒を失った車両となっています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
クハ1855:日本車輌製造
クハ1855:モハ63305
クハ1855:調査中
クハ1855:1980年7月30日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1805Fの概要
1946年11月に入線し、大東急時代の厚木線に貸与されて運用を開始した編成です。厚木線は現在の相鉄本線で、当時は大東急が経営を委託されていました。
1800形は6編成が厚木線に貸与され、後に3編成が正式に譲渡されていますが、1805Fは1947年7月28日に返却されています。
他の編成と同様に、導入当初は63形そのものといった状態でしたが、可能な範囲で都度の改修が行われ、戦時設計特有の状態は少しずつ改善されました。
後に抜本的な対応が行われることとなり、台枠を流用して全金属製車体に更新され、切妻のデザインはそのままながら、小田急らしい車両へと変化していきます。
このような対応は国鉄でも行われており、同じような道を歩むこととなりました。
その後も細部の改良を行いつつ、大きな車体を活かして運用され、晩年は1806Fと半固定編成化されます。
この対応により、先頭に出るのは基本的にデハ1805のみとなり、後に方向幕の自動化等が行われています。
1980年に廃車となりましたが、その後は秩父鉄道で800系として活躍しました。
小田急でペアを組んでいた1806Fは、秩父鉄道で部品取り後に解体されたため、譲渡時に唯一相棒を失った車両となっています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ1805-クハ1855※左側が新宿方
製造所
デハ1805:川崎車輛クハ1855:日本車輌製造
旧番号(日本国有鉄道)
デハ1805:モハ63088クハ1855:モハ63305
運用開始日
デハ1805:調査中クハ1855:調査中
廃車日
デハ1805:1980年7月30日クハ1855:1980年7月30日
1805Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (5)
青と黄の時代は、特に気にもしなかったのですが、アイボリーに青帯になった時、カマボコが走ってきたと思いました。
いつも重々しいうなり声をあげるわりにスピードは出ないのですが、ブレーキがかかると鉄の焼けるにおいが、今でも鼻の奥に残っている感じです。
ワタシダ
が
しました
この写真の撮影場所は、相模大野から小田急相模原に向かう途中の様に見えますね。
ワタシダ
が
しました
秩父鉄道に譲渡された時の車番は小田急時代から千の位を取った805号車だったと思いますが、その当時の写真には正面向かって左下にジャンパー栓が有りました。
1800形は奇数車のМ車が必ず先頭に立っているので、ジャンパー栓が有る筈が、この写真には無いのは何故なのかな?と。
一旦、全交換の為に未使用時のジャンパー栓受けも含め、全て撤去したのでしょうか?
ワタシダ
が
しました