全線に渡って宅地化が進み、どの区間もそれなりに混雑している小田急。
コロナ禍を経たことによる落ち込みはありつつも、輸送力の適正化によりバランスを保っています。
元々は観光路線の性格が強く、沿線には未発展の地域も多かった小田急ですが、利用者が爆発的にのびた時期はいつだったのでしょうか。
現在の輸送人員は7億人ほどであることから、約70倍になっていることになります。

写真提供:小田急指令掛川様
戦後の日本は、高度経済成長期に飛躍的な発展をとげ、首都圏の人口は大幅な転入超過を続けました。
小田急の利用者も年を追うごとに増え続け、輸送力の増強に追われていくこととなります。
輸送人員がどのようにのびていたのか、まずは数字を確認してみたいと思います。
以下は年度ごとの年間輸送人員で、括弧内は前年度比を示したものです。
1952年度:93,900,391人(103.8%)
1953年度:100,607,640人(107.1%)
1954年度:108,165,810人(107.5%)
1955年度:113,803,273人(105.2%)
1956年度:124,277,485人(109.2%)
1957年度:135,247,555人(108.8%)
1958年度:146,956,848人(108.7%)
1959年度:159,636,030人(108.6%)
1960年度:175,175,632人(109.7%)
1961年度:198,934,468人(113.6%)
1962年度:220,072,068人(110.6%)
1963年度:245,641,717人(111.6%)
1964年度:273,665,748人(111.4%)
1965年度:297,745,908人(108.8%)
1966年度:317,572,271人(106.7%)
1967年度:339,431,819人(106.9%)
1968年度:358,648,333人(105.7%)
1969年度:379,829,909人(105.9%)
1970年度:400,379,588人(105.4%)
1971年度:416,359,004人(104.0%)
1972年度:435,060,386人(104.5%)
1973年度:452,863,160人(104.1%)
1974年度:471,203,262人(104.0%)
1975年度:476,948,461人(101.2%)
1976年度:482,751,488人(101.2%)
高度経済成長期は、1955年頃から1973年頃といわれますが、小田急もこの時期に輸送人員が大きく伸びていました。
1956年度からは前年度比で約110%の状態が続き、2200系列から2400形を経て、大型車の時代に突入していくこととなります。
前年度からの増加を実数値でも確認し、最ものびた時期を特定したいと思います。
以下は輸送人員の前年度からの増加を示したものです。
1952年度:3,425,287人
1953年度:6,707,249人
1954年度:7,558,170人
1955年度:5,637,463人
1956年度:10,474,212人
1957年度:10,970,070人
1958年度:11,709,293人
1959年度:12,679,182人
1960年度:15,539,602人
1961年度:23,758,836人
1962年度:21,137,600人
1963年度:25,569,649人
1964年度:28,024,031人
1965年度:24,080,160人
1966年度:19,826,363人
1967年度:21,859,548人
1968年度:19,216,514人
1969年度:21,181,576人
1970年度:20,549,679人
1971年度:15,979,416人
1972年度:18,701,382人
1973年度:17,802,774人
1974年度:18,340,102人
1975年度:5,745,199人
1976年度:5,803,027人
実数値にすると、1964年度が最ものびていたことが分かり、続いて1963年度、1965年度の順となっています。
1964年といえば、東京オリンピックが開催された年であり、小田急では大型車の2600形がデビューしました。
約2,800万人もの爆発的なのびを記録していたわけですが、これは初期の年間輸送人員を大きく上回るものでした。
輸送力の増強に追われていた状況だったことは、数字の面にもしっかりと表れていました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
会社の発展には繋がったのでしょうが、公共交通機関としての使命を果たすのに必死だった時期ともいえそうです。
コロナ禍を経たことによる落ち込みはありつつも、輸送力の適正化によりバランスを保っています。
元々は観光路線の性格が強く、沿線には未発展の地域も多かった小田急ですが、利用者が爆発的にのびた時期はいつだったのでしょうか。
高度経済成長期前後の年度別輸送人員
1927年に開業した小田急は、年間の輸送人員が1,000万人を少し超えるぐらいで、単行の車両が走るような私鉄でした。現在の輸送人員は7億人ほどであることから、約70倍になっていることになります。

写真提供:小田急指令掛川様
戦後の日本は、高度経済成長期に飛躍的な発展をとげ、首都圏の人口は大幅な転入超過を続けました。
小田急の利用者も年を追うごとに増え続け、輸送力の増強に追われていくこととなります。
輸送人員がどのようにのびていたのか、まずは数字を確認してみたいと思います。
以下は年度ごとの年間輸送人員で、括弧内は前年度比を示したものです。
1952年度:93,900,391人(103.8%)
1953年度:100,607,640人(107.1%)
1954年度:108,165,810人(107.5%)
1955年度:113,803,273人(105.2%)
1956年度:124,277,485人(109.2%)
1957年度:135,247,555人(108.8%)
1958年度:146,956,848人(108.7%)
1959年度:159,636,030人(108.6%)
1960年度:175,175,632人(109.7%)
1961年度:198,934,468人(113.6%)
1962年度:220,072,068人(110.6%)
1963年度:245,641,717人(111.6%)
1964年度:273,665,748人(111.4%)
1965年度:297,745,908人(108.8%)
1966年度:317,572,271人(106.7%)
1967年度:339,431,819人(106.9%)
1968年度:358,648,333人(105.7%)
1969年度:379,829,909人(105.9%)
1970年度:400,379,588人(105.4%)
1971年度:416,359,004人(104.0%)
1972年度:435,060,386人(104.5%)
1973年度:452,863,160人(104.1%)
1974年度:471,203,262人(104.0%)
1975年度:476,948,461人(101.2%)
1976年度:482,751,488人(101.2%)
高度経済成長期は、1955年頃から1973年頃といわれますが、小田急もこの時期に輸送人員が大きく伸びていました。
1956年度からは前年度比で約110%の状態が続き、2200系列から2400形を経て、大型車の時代に突入していくこととなります。
輸送人員が最ものびた時期
前年度比を見ることで、高度経済成長期に輸送人員がのびていたことは分かりましたが、実数値ではどうなっていたのでしょうか。前年度からの増加を実数値でも確認し、最ものびた時期を特定したいと思います。
以下は輸送人員の前年度からの増加を示したものです。
1952年度:3,425,287人
1953年度:6,707,249人
1954年度:7,558,170人
1955年度:5,637,463人
1956年度:10,474,212人
1957年度:10,970,070人
1958年度:11,709,293人
1959年度:12,679,182人
1960年度:15,539,602人
1961年度:23,758,836人
1962年度:21,137,600人
1963年度:25,569,649人
1964年度:28,024,031人
1965年度:24,080,160人
1966年度:19,826,363人
1967年度:21,859,548人
1968年度:19,216,514人
1969年度:21,181,576人
1970年度:20,549,679人
1971年度:15,979,416人
1972年度:18,701,382人
1973年度:17,802,774人
1974年度:18,340,102人
1975年度:5,745,199人
1976年度:5,803,027人
実数値にすると、1964年度が最ものびていたことが分かり、続いて1963年度、1965年度の順となっています。
1964年といえば、東京オリンピックが開催された年であり、小田急では大型車の2600形がデビューしました。
約2,800万人もの爆発的なのびを記録していたわけですが、これは初期の年間輸送人員を大きく上回るものでした。
輸送力の増強に追われていた状況だったことは、数字の面にもしっかりと表れていました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
とてつもない勢いで利用者が増加し、不足する輸送力の増強に迫られ続けた小田急。会社の発展には繋がったのでしょうが、公共交通機関としての使命を果たすのに必死だった時期ともいえそうです。


コメント
コメント一覧 (18)
田舎に家を買った方の都合で代々木の道路交通が寸断されるのは筋が通らないので
ワタシダ
が
しました
コロナ前は世田谷代田▶︎下北沢の最混雑区間の混雑率は200%ぐらい。
複々線化完成で160%ぐらい。
2020年には80%、
コロナ禍経て今は140%ぐらい。
時代は変わったと痛感します。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
旧5000形も手動白サボで後運用で新宿になっていると思われます!!
今は多摩線が小田原線へ直通が多いので多摩線が乗降が多いんでしょうか?
ワタシダ
が
しました
駅前団地のロケ地だった読売ランド前かな?それとも藤子F先生が家を建てた生田かな?
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
半世紀前の高度経済成長期に計画された複々線工事の進捗により輸送量が高まった小田急。
しかし、現在では将来の人口減少を見据えて、設備をダウンサイジングするフェーズに入っています。
複々線を要望した当時の利用者には間に合わなかった訳で、インフラの整備には長い時間がかかり、将来を見通すことの難しさも感じますね。
ワタシダ
が
しました
現在でも世田谷区内や向ヶ丘遊園以西を中心に利用客数が増加傾向にあり、前者は複々線化完成による都心への利便性や企業や大学などの都心回帰、後者は沿線の宅地開発が進められたことも主な理由として挙げられましょう。
近年、日本国内における人口減少やテレワークの普及により鉄道輸送における人員が減少する中、小田急沿線ではこれからも沿線人口の増加が予想されると言われており(とはいえ、相鉄の都心直通である程度利用客が分散しましたが、今後は多摩ニュータウン方面のアクセスで相模原線からどのくらい利用客が分散するかが課題となるでしょう)、今後の状況からますます目が離せないこの頃です。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました