西武が小田急から中古車両を導入する、そんな衝撃的な発表があったのは2023年9月のことでした。
サステナ車両の導入方針は予め発表されていましたが、その対象が小田急の8000形になるというのは、あまり予想されていない展開だったように思います。

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東急からの車両も譲渡が始まり、運行開始に向けた準備が進められていますが、これらの3社はかつて「箱根山戦争」で輸送シェア争いをした3社だったという、驚きの展開となりました。

箱根を舞台にした輸送シェアの奪い合い

小田急と西武といえば、上の世代ほど箱根山戦争という言葉を思い浮かべるかもしれません。
私自身は、当時の騒動を直接見ていたわけではありませんが、書籍等で頻繁に目にするエピソードであり、強く印象に残っています。

箱根山戦争と呼ばれてはいますが、もちろん軍事的衝突があったようなものではなく、箱根という地で行われた輸送シェアを巡る争いです。
東急グループをバックにした小田急グループと、西武グループが当事者となっており、戦後にバス路線の免許申請をきっかけに顕在化しました。

バス路線の問題は、運輸省の関与により両社が譲歩するかたちとなりますが、火種は芦ノ湖へと移っていきます。
その後は争いが各方面へと波及し、公的機関を巻き込んだ大騒動となっていきました。

争いはやがて訴訟へと発展していきますが、現場も巻き込んだ実力行使も行われるようになり、大人の対応が基本となる現代からすると、少々想像しにくい状況となります。
現場、法廷、株式市場と、戦場は多方面に及ぶこととなりますが、輸送ルートの住み分け等が進んだことで終息へと向かいました。

一つの記事で詳細は書ききれないほど、箱根山戦争の経過は複雑であり、かなり簡略化していることをお許し下さい。
機会があれば、個別の事案を切り出して紹介したいと思います。

車両が移籍するという象徴的な展開へ

箱根山戦争の終結後、両社の関係は改善へと向かい、西武は「スカイラインコース」を、小田急は「箱根ゴールデンコース」を軸に集客を図っていきました。
闘争相手から競争相手へと変わっていったことになりますが、バブル崩壊後の景気低迷をきっかけとして、両社の関係はさらに変化していくこととなります。

競争相手だった両社は、最終的には業務提携をする仲へと発展し、現代においては箱根を盛り上げるパートナーとなりました。
西武と東急の間では、東京メトロを介した相互直通運転も始まり、かつての争いを知れば知るほど、時代は変わったのだと感じさせられます。

サステナ車両は、小田急と東急からの車両を導入することとなりましたが、偶然にもそれはかつての箱根山戦争の当事者の3社です。
求める車両が偶然一致しただけなのだと思いますが、不思議な力が働いたようにさえ感じる、驚きの展開となりました。

おわりに

争いの終結後、小田急の社長であった安藤楢六氏が西武グループの堤康次郎氏を訪ねた際、かけられた言葉が記録に残されています。
「もう、けんかはよそうや」というものですが、この言葉があったからこそ、その後の良好な関係へと繋がっていったのかもしれませんね。