1960年に営業運転を開始し、小田急に本格的な高性能車の時代をもたらした2400形。
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2499Fは2400形としての25編成目となり、通常の法則では車両の番号がおさまらなくなっています。
このような経緯により、デハ2400とクハ2450という変則的な番号が設定されており、小田急の歴史上においてもかなり珍しい事象となりました。
利用者の増加がハイペースで進んだ結果、車両の増備両数が想定を超えてしまったものとみられます。
車両の仕様は2次車以降の一般的なもので、車体の外板と屋根板には一般的な厚さが採用されています。
他編成で行われた車体の修繕は行われなかったものの、それによって56芯ジャンパ連結器が残っていたことが幸いし、晩年には2233Fと組んだ6両編成が見られました。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
後期車としては早期の廃車組となり、1985年度に除籍されていますが、その際に外されたモーターは4000形に流用されたものと思われます。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2449:調査中
デハ2400:調査中
クハ2450:調査中
デハ2449:川崎車輛
デハ2400:川崎車輛
クハ2450:川崎車輛
デハ2449:1963年4月13日
デハ2400:1963年4月13日
クハ2450:1963年4月13日
デハ2449:1985年11月30日
デハ2400:1985年11月30日
クハ2450:1985年11月30日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2499Fの概要
1963年度に登場した編成で、2400形としての最終増備年度にもなりました。2499Fは2400形としての25編成目となり、通常の法則では車両の番号がおさまらなくなっています。
このような経緯により、デハ2400とクハ2450という変則的な番号が設定されており、小田急の歴史上においてもかなり珍しい事象となりました。
利用者の増加がハイペースで進んだ結果、車両の増備両数が想定を超えてしまったものとみられます。
車両の仕様は2次車以降の一般的なもので、車体の外板と屋根板には一般的な厚さが採用されています。
他編成で行われた車体の修繕は行われなかったものの、それによって56芯ジャンパ連結器が残っていたことが幸いし、晩年には2233Fと組んだ6両編成が見られました。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
後期車としては早期の廃車組となり、1985年度に除籍されていますが、その際に外されたモーターは4000形に流用されたものと思われます。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
クハ2499-デハ2449-デハ2400-クハ2450※左側が新宿方
製造区分
クハ2499:調査中デハ2449:調査中
デハ2400:調査中
クハ2450:調査中
製造所
クハ2499:川崎車輛デハ2449:川崎車輛
デハ2400:川崎車輛
クハ2450:川崎車輛
竣功日
クハ2499:1963年4月13日デハ2449:1963年4月13日
デハ2400:1963年4月13日
クハ2450:1963年4月13日
廃車日
クハ2499:1985年11月30日デハ2449:1985年11月30日
デハ2400:1985年11月30日
クハ2450:1985年11月30日
2499Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (4)
これは厚木ですね。
ワタシダ
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ワタシダ
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本文説明の通り、2400形が電連設置に伴い新宿寄り奇数車の正面向かって左下に有ったジャンパー栓が取り外されていく中、まだ2200系が残っていた関係も有ってか、両車共に電連が装備されていたにも関わらず、このジャンパー栓が使われていました。
他に最後までジャンパー栓を装備していた編成は
2477F、2499F、2551F、2555F、2557Fの5編成だったと思います。
特に吊り掛け4000形の高性能化に2400の電装品を流用される訳ですが、この5編成がごく初期の廃車だったと思います。
資料とかは無いですが2400形の廃車が始まった頃は通学で相模大野は土日祝日を除けば毎日通っていたので、廃車前提の車両は江ノ島線の高架脇の格納庫すぐ脇の留置線に居たと思います。
特に2557Fが2400形の廃車第一号だった記憶が有ります。
ワタシダ
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