年を追うごとに夏が暑くなり、日本では冷房に頼らざるを得ない状況です。
鉄道車両には冷房があることが当たり前で、小田急も全ての車両が冷房車となっていますが、そうではない時代が過去にはありました。

ロマンスカーに続き、小田急で初の冷房車となった車両について、今回は掘り下げてみたいと思います。

1968年に登場した小田急初の冷房車

今では多くの家庭に導入されている冷房ですが、かつては贅沢品の一つでした。
鉄道車両には冷房がないことが当たり前で、暑い日は窓を開けて外の空気を入れつつ、扇風機等に頼るのが日常の風景で、現代とは全く異なる状況だったことになります。

日本の鉄道車両において、初めて冷房車が登場したのは1936年のことで、南海の2001形という車両でした。
意外にも戦前に冷房車自体は存在していましたが、普及が進むのは戦後になってからのことでした。

小田急で初の冷房車は、名車として語り継がれるロマンスカーの3000形(SE)です。
しかし、登場時の段階では搭載にあたっての諸問題を解決できず、1962年の改造により設置されたものでした。

ロマンスカーに遅れること約6年、通勤型車両で初の冷房車となったのは、4両編成の2400形でした。
関東の通勤型車両としては、京王が5000系で先行して試作冷房車を造っていましたが、小田急は少し遅れての登場でした。

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写真提供:小田急指令掛川

新製車に冷房を搭載した京王に対して、小田急は従来車を試作車として改造する手法を採用し、クハ2478がその役目を担いました。
京王の分散式とは異なり、集中式との間に位置する集約分散式を搭載し、8,000kcal/hのCU-12を5台としました。

2400形は4両編成でしたが、冷房化されたのは先頭車の1両のみであり、引退までその状態が変わることはありませんでした。
小田急の歴史上において、旧塗装の時期に冷房を搭載した唯一の事例であり、中型車でただ1両の冷房車となっています。

なぜ2400形が試験車に選ばれたのか

1968年といえば、2600形の最終編成が増備された年にあたりますが、なぜ2400形が試験車に選ばれたのでしょうか。
新製車である2600形に冷房を搭載するほうが、改造するより楽に導入できるように思いますが、2400形が選ばれたのにはきちんとした理由があります。

満員の乗客を運ぶ通勤型車両において、どれぐらいの冷房能力が必要なのか、事例が少ない当時は明確な正解が存在しませんでした。
駅に停まる度にドアの開閉も発生するため、特急で使用するロマンスカーとも全く事情が異なることから、計算だけで新製車に導入するには不安がある状態だったのです。

試験という面では、2600形の1両だけを冷房車とする方法も可能だったことになりますが、登場当時は各駅停車用の車両であり、2400形とは使い方が異なっていました。
満員の乗客を乗せる急行用の車両は2400形で、冷房の能力が十分かを確認するのには適役であったほか、電動車に重量を集める設計によって制御車の床下が空いており、改造がしやすいというメリットも活かされています。

15mと少ししかない車体で、合計40,000kcal/hもの冷房能力を有したため、車内は相当冷えたそうです。
試験は1970年まで行われましたが、その後も冷房装置が撤去されることはなく、クハ2478は引退まで中型車唯一の冷房車として活躍を続けることとなりました。



写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。

おわりに

クハ2478での試験結果を受けて、1971年に登場した5000形の3次車において、新製車に初めて冷房が搭載されました。
その後の新製車は冷房を搭載することが基本とされ、大型車は2600形以降の車両が改造されていくこととなります。