新百合ヶ丘駅から分岐し、唐木田駅までを結んでいる小田急の多摩線。
路線の距離は10.6kmと短めですが、多摩ニュータウンに至る路線として、京王の相模原線とともに歴史を歩んできました。

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そんな多摩線ですが、初期に計画していたルートは喜多見駅から分岐するもので、開業した現行ルートとは異なるものでした。

計画段階の喜多見駅分岐ルート

1974年6月1日に開業することとなる多摩線は、1964年1月に最初の免許が申請され、今日に至るまでの歴史が始まります。
開業したルートは、新百合ヶ丘駅から唐木田駅に至るものですが、当初は喜多見駅からの分岐が計画されていました。

喜多見付近で分岐する計画段階のルートは、京王の調布駅方面に向かって北上し、南調布、調布多摩川という駅を設けるところから始まります。
調布多摩川からは南武線の中野島駅付近に向かい、現在の京王よみうりランド駅と稲城駅付近は、京王相模原線とほぼ同じルートとなっていました。

稲城付近から先では、京王よりもやや北寄りのルートを進みつつ、多摩ニュータウンへと入っていきます。
調布多摩川の先では、稲城、坂浜、多摩、由木、橋本、城山という駅が計画上は存在し、総延長は30.5kmという壮大なものでした。

多摩線が開業した後も、小田急多摩センター駅から延伸する城山までの免許は生きていましたが、1987年に失効しています。
その後は唐木田駅までの延伸が行われ、現在は相模原方面まで延ばす計画が存在しますが、具体化までには至っていません。

多摩線のルートが変更された背景

喜多見駅から分岐するルートが生まれた背景には、後に千代田線となる路線の計画や、小田急の複々線化が関係しています。
多摩線は喜多見付近で小田原線と合流し、代々木上原駅までは複々線となり、そこからは千代田線に乗り入れるというルートで描かれていました。

複々線が登戸駅で途切れ、新百合ヶ丘駅までの延長が見通せない今となっては、喜多見駅分岐ルートのほうがよかったようにも見えますが、沿線の発展は違ったものになるでしょうから、そう単純に比較できるものではなさそうです。
そして、喜多見駅分岐ルートが変更されたのには、明確な理由もありました。

初期段階で課題となったのは、多摩ニュータウンの関係者から百合ヶ丘付近で分岐するルートの要請があったこと、京王の路線とルートが重複するというもので、最適解は見つからずに調整は難航することとなります。
そのような中、ルート上の沿線住民が反対運動を行っていることや、複々線化が将来的に相模大野駅まで必要なことを踏まえると、多摩川に6線分の橋を架ける必要が生じるため、それはコスト面で非合理的であるとの意見も強まりました。

その後の結果は史実のとおりで、最終的には新百合ヶ丘駅から分岐するルートに落ち着き、多摩線は現在の姿で開業することとなります。
仮に喜多見駅から分岐していた場合、多摩線はどんな歴史を歩んでいたのでしょうか。

おわりに

千代田線との関係もあり、喜多見駅付近で分岐するルートで計画されていた多摩線。
新百合ヶ丘駅からの分岐となったことで、沿線の発展が進んだ面もありますが、複々線化が中途半端に終わってしまったことから、その点では少し残念な結果となってしまいました。