全線に70の駅があり、今後は伊勢原市内に新駅が誕生する可能性がある小田急。
沿線の発展に伴い駅を増やし続けてきましたが、僅かながら廃止された駅も存在します。

駅の廃止には戦時体制等が関係していますが、営業を休止したケースもありました。
戦時中に休止や廃止となった駅は、どれぐらいあったのでしょうか。
戦時中の小田急は、経営の合理化を図ることや、陸上交通事業調整法の絡みで東急と合併しており、大東急と呼ばれていました。
小田急が大東急の一員であった時代、1942年11月に戦時陸運非常体制というものが実施され、今回のテーマである駅の整理が検討されることとなります。
この流れの中で、大東急では駅の整理と統合、営業の休止が実施されることとなりました。
廃止や休止の検討対象となったのは、軍需工場の関係者に影響が少ないことを前提としつつ、駅間距離が短かったり、利用者が極端に少ない駅でした。
この結果として、大東急全体で終戦までに10駅が廃止となり、空襲で被災したケースも含めた34駅が休止となっています。
駅間距離が比較的長かったり、沿線に軍需工場が多かったため、検討対象となる駅自体が少なかったものと思われます。
小田急において廃止となったのは、座間駅から海老名駅間にあった海老名国分駅と、南新宿駅と参宮橋駅間にあった山谷駅の2駅です。
どちらも隣の駅との距離は短いものの、経緯は異なっています。
海老名国分駅は、1943年4月1日に廃止され、同日に現在の海老名駅が営業を開始しました。
当時の海老名駅とは0.7kmほどしか離れていなかったため、廃止の判断がされたものと思われます。
ここに至るまでには、神中鉄道(現在の相鉄)の小田急への乗り入れ等が関係していますが、今回のテーマとはずれるため詳細は割愛します。
山谷駅については、1945年7月1日より休止となり、戦後の1946年6月1日に廃止されました。
空襲で被災したことをきっかけとして、休止になったといわれていますが、諸説あるようです。
休止になった駅としては、江ノ島線の東林間駅もあります。
1945年4月に休止となりましたが、山谷駅とは異なり1949年4月1日に営業を再開しました。
その他には、和泉多摩川駅と鶴間駅も検討対象となっていましたが、休止されることなく終戦を迎えています。
距離が短い駅間は今も存在していますが、周辺の地価に大きな影響を与えることから、宅地化が進んだ現代において廃止や統合を行うことは、不可能に近いとさえいえそうです。
沿線の発展に伴い駅を増やし続けてきましたが、僅かながら廃止された駅も存在します。

駅の廃止には戦時体制等が関係していますが、営業を休止したケースもありました。
戦時中に休止や廃止となった駅は、どれぐらいあったのでしょうか。
戦時体制による駅の整理
1941年12月8日に始まった太平洋戦争は、1942年から戦局が悪化へと転じ、最終的には1945年の敗戦へと至ります。戦時中の小田急は、経営の合理化を図ることや、陸上交通事業調整法の絡みで東急と合併しており、大東急と呼ばれていました。
小田急が大東急の一員であった時代、1942年11月に戦時陸運非常体制というものが実施され、今回のテーマである駅の整理が検討されることとなります。
この流れの中で、大東急では駅の整理と統合、営業の休止が実施されることとなりました。
廃止や休止の検討対象となったのは、軍需工場の関係者に影響が少ないことを前提としつつ、駅間距離が短かったり、利用者が極端に少ない駅でした。
この結果として、大東急全体で終戦までに10駅が廃止となり、空襲で被災したケースも含めた34駅が休止となっています。
休止や廃止となった駅
大東急時代は、新宿営業局としてスタートした小田急において、休止や廃止の対象となった駅は多くありません。駅間距離が比較的長かったり、沿線に軍需工場が多かったため、検討対象となる駅自体が少なかったものと思われます。
小田急において廃止となったのは、座間駅から海老名駅間にあった海老名国分駅と、南新宿駅と参宮橋駅間にあった山谷駅の2駅です。
どちらも隣の駅との距離は短いものの、経緯は異なっています。
海老名国分駅は、1943年4月1日に廃止され、同日に現在の海老名駅が営業を開始しました。
当時の海老名駅とは0.7kmほどしか離れていなかったため、廃止の判断がされたものと思われます。
ここに至るまでには、神中鉄道(現在の相鉄)の小田急への乗り入れ等が関係していますが、今回のテーマとはずれるため詳細は割愛します。
山谷駅については、1945年7月1日より休止となり、戦後の1946年6月1日に廃止されました。
空襲で被災したことをきっかけとして、休止になったといわれていますが、諸説あるようです。
休止になった駅としては、江ノ島線の東林間駅もあります。
1945年4月に休止となりましたが、山谷駅とは異なり1949年4月1日に営業を再開しました。
その他には、和泉多摩川駅と鶴間駅も検討対象となっていましたが、休止されることなく終戦を迎えています。
おわりに
小田急で廃止された2駅には、戦時中という特殊性が関係していました。距離が短い駅間は今も存在していますが、周辺の地価に大きな影響を与えることから、宅地化が進んだ現代において廃止や統合を行うことは、不可能に近いとさえいえそうです。


コメント
コメント一覧 (11)
ちょっとミスれば非国民と叩かれかねないし…
ワタシダ
が
しました
1つは伊勢原-鶴巻(当時の名称)間の軍需産業がらみで新設の計画があり、ホームとホーム上の小屋まで完成しながら、終戦で放棄された計画駅。これは今でもホーム予定地が痕跡として残っています。現在の周辺の様子から、新設されてもあまり便利とは言えなかったかも…。
もう1つは伊勢原駅から上り方向へ支線を伸ばし、途中で本線をオーバークロスしてその先にあった軍需工場?にいたる路線。実際に線路の一部は敷かれたようですが、これも終戦でそのまま放置になりました。
いずれも、戦後間もなく米軍が撮影した航空写真に写っているのがわかります。また小田急五十年史に記述があります。
ワタシダ
が
しました
今対して問題を起こさずに駅の統廃合が行えるとしたら足柄駅ぐらいでしょうか。
ワタシダ
が
しました
例えば、横浜線原町田駅は移転と同じ日に町田駅に改称しましたし、信越本線脇野田駅は移転と同じ日に上越妙高駅に改称しました。
ワタシダ
が
しました
宅地化が進んでいれば、廃止にならなくてもよかったかもしれませんね。
ワタシダ
が
しました
ご確認をお願いいたします。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました