中型車としては最後の形式となり、1989年に引退した小田急の2400形。
引退により小田急の通勤型車両は大型車に統一され、運用の効率化が図られることとなりました。
沿線人口の急増に合わせ、経済性を重視することで2400形は大量増備を可能としましたが、その過程には意外な事実が隠れています。
この面白い設計は、空転を防止するために電動車の重量をかせぐことが目的で、見た目に大きな特徴がある車両が生まれました。
2200形の登場により、高性能車の時代に突入した小田急では、派生系列を含めて増備が続きます。
しかし、全電動車方式は製造コストが高くなり、その後のメンテナンスにおいても同様となることから、性能との両立に課題がありました。
この時期の小田急は、沿線人口が急激に増加する時期に突入し、車両を大量に増備する必要に迫られます。
そのような状況下で、コストを抑えつつ大量増備を実現するため、2400形という車両が造られることになりました。

写真提供:小田急指令掛川様
2400形は当時の小田急における最多勢力となり、1959年の終わりから1963年の半ばにかけて、4両編成が29本も増備されます。
僅か3年半ほどで116両も造られており、かなりハイペースだったといえるでしょう。
登場当初は比較的常識的なペースで増備されており、極端にハイペースというわけではありませんでした。
大量増備の結果、2400形は番号が2500番台に溢れてしまいましたが、想定を超えてしまったということを裏付ける事実が、竣功時期に隠されています。
竣功した編成数を半年ごとに見てみると、以下のようになっています。
1959年後半:1編成
1960年前半:3編成
1960年後半:4編成
1961年前半:3編成
1961年後半:2編成
1962年前半:1編成
1962年後半:5編成
1963年前半:10編成
増備の終盤となる1年間で、半数を超える15編成が造られているのです。
ここまで極端に寄っていることを踏まえると、当初の想定を超える増備に迫られ、番号が溢れてしまったのは疑いようがありません。
1964年からは大型車の2600形に増備が移行しますが、その間にはロマンスカーの3100形(NSE)が造られており、小田急の車両はどんどん増えていたことになります。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
現代の小田急で最多勢力となる3000形も、後半になってから極端にハイペースで造られた経緯があり、走りすぎていて興味の対象になりにくいという点も含め、似ている車両なのかもしれませんね。
引退により小田急の通勤型車両は大型車に統一され、運用の効率化が図られることとなりました。
沿線人口の急増に合わせ、経済性を重視することで2400形は大量増備を可能としましたが、その過程には意外な事実が隠れています。
小田急初の大量増備となった2400形
大容量のモーターを搭載し、MT比を1:1とした2400形は、先頭車と中間車の長さが極端に異なる車両です。この面白い設計は、空転を防止するために電動車の重量をかせぐことが目的で、見た目に大きな特徴がある車両が生まれました。
2200形の登場により、高性能車の時代に突入した小田急では、派生系列を含めて増備が続きます。
しかし、全電動車方式は製造コストが高くなり、その後のメンテナンスにおいても同様となることから、性能との両立に課題がありました。
この時期の小田急は、沿線人口が急激に増加する時期に突入し、車両を大量に増備する必要に迫られます。
そのような状況下で、コストを抑えつつ大量増備を実現するため、2400形という車両が造られることになりました。

写真提供:小田急指令掛川様
2400形は当時の小田急における最多勢力となり、1959年の終わりから1963年の半ばにかけて、4両編成が29本も増備されます。
僅か3年半ほどで116両も造られており、かなりハイペースだったといえるでしょう。
2400形が増備された時期の偏り
輸送力増強を進めるために導入された2400形は、どんどん造られたイメージがある車両ですが、実際にはそういうわけでもありません。登場当初は比較的常識的なペースで増備されており、極端にハイペースというわけではありませんでした。
大量増備の結果、2400形は番号が2500番台に溢れてしまいましたが、想定を超えてしまったということを裏付ける事実が、竣功時期に隠されています。
竣功した編成数を半年ごとに見てみると、以下のようになっています。
1959年後半:1編成
1960年前半:3編成
1960年後半:4編成
1961年前半:3編成
1961年後半:2編成
1962年前半:1編成
1962年後半:5編成
1963年前半:10編成
増備の終盤となる1年間で、半数を超える15編成が造られているのです。
ここまで極端に寄っていることを踏まえると、当初の想定を超える増備に迫られ、番号が溢れてしまったのは疑いようがありません。
1964年からは大型車の2600形に増備が移行しますが、その間にはロマンスカーの3100形(NSE)が造られており、小田急の車両はどんどん増えていたことになります。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
大量増備とはいっても、2400形の竣功時期には極端な偏りがありました。現代の小田急で最多勢力となる3000形も、後半になってから極端にハイペースで造られた経緯があり、走りすぎていて興味の対象になりにくいという点も含め、似ている車両なのかもしれませんね。


コメント
コメント一覧 (6)
ワタシダ
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大出力WN駆動が必要となり標準車輪径だった860Φよりデハは大きく、逆に車重軽量化を考慮したクハ。側面から見ると短いクハがさらに小さく見えたものです。
しかし粘着トルクが大きくなり、雨天時の力行で空転が目立った印象が有りました。
将来の動力車化を見込んだ設計のサハ2750、サハ9550と9650は車輪径をデハに揃えたものの、2400形以降の小田急車はMTで車輪径を変える流れが続きました。他の私鉄では見られない設計ですね。
ワタシダ
が
しました
それまで2両単位がメインだった小田急の通勤車両に長編成化の緖口を作った車両とも言えるように思います。
最盛期は中型の2200系統や大型の旧5000や9000とも併結し、4両単独から6両・8両まで、各停から急行まで、新宿から箱根湯本・片瀬江ノ島まで、まさに縦横無尽の大活躍で沿線人口急増期の小田急を支えました。
ただ、冷房が無いことや後発の形式と比較して収容力に劣ることから、利用者からは嫌われ気味だったことは気の毒にも感じます。
ワタシダ
が
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なおさらにその後、今度は線路容量の問題まで起きてしまったので、各停の本数を削りつつも輸送力を維持・向上させるべく大型高性能車のNHE車の投入に至ったのは皆様もご存知の通りと思います。
戦後復興期を超えて高度経済成長期に突入した時期ならではのエピソードかな、と思います。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
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