2017年に小田急への乗り入れを終了し、2018年に現役を引退した東京メトロの6000系。
現在もインドネシアで活躍している車両があるほか、東京メトロでも一部の編成が保存されています。
東京メトロが営団地下鉄だった時代、地下鉄の車両は冷房化が遅れており、1990年代になっても非冷房車が残っていました。
6000系については、いつまで非冷房車が残っていたのでしょうか。
新造時から冷房を搭載したのは僅かに30両で、それ以外は全て冷房化の改造を行っています。

写真提供:小田急指令掛川様
ほとんどが非冷房車だったとはいっても、6122F以降は冷房準備車として造られており、必要な機器を搭載すればすぐに使えるようになっていました。
冷房化改造はこれらの編成を皮切りに1988年から始まり、順次冷房車が増えていくこととなります。
各編成が冷房化された日を、竣功順に記載した結果は以下のとおりです。
6122F:1988年3月29日
6123F:1988年4月20日
6109F:1988年4月25日
6125F:1988年5月6日
6126F:1988年5月26日
6127F:1988年5月27日
6128F:1988年5月29日
6124F:1988年6月24日
6129F:1988年11月21日
6130F:1989年3月25日
6131F:1989年6月14日
6132F:1989年6月17日
6108F:1989年6月23日
6110F:1990年4月17日
6112F:1990年10月19日
6107F:1991年1月22日
6113F:1991年7月31日
6103F:1991年11月8日
6105F:1992年2月29日
6104F:1992年5月5日
6106F:1992年7月28日
6111F:1992年10月20日
6102F:1992年12月25日
6115F:1993年4月5日
6114F:1993年6月9日
6116F:1993年8月13日
6117F:1993年10月12日
6118F:1993年12月17日
6119F:1994年3月7日
6120F:1994年5月13日
6000-1F:1994年5月31日
6121F:1994年7月22日
6101F:1994年9月29日
結果はこのようになっており、完了間際に試作車の冷房化が行われています。
運用が限定されていたことから、他編成よりも優先度を下げられていたということなのでしょう。
全体的に見ると、1988年に冷房準備車から始めているものの、それ以前の編成も少しずつ進んでいたことが分かります。
これはB修工事と合わせて行われていたことによるもので、初期に冷房準備車以外の設置が遅れる原因となりました。
1992年度以降はB修工事を中断し、冷房化を優先する方針に変化したため、設置のペースが上がっています。
そこからは2年ほどで一気に冷房化を進め、1994年に6000系は全編成が冷房車となりました。
小田急の9000形が冷房車として造られたのに対して、6000系は非冷房車ばかりだったことになりますが、地下鉄線内では冷房を使用しない運用となっています。
1989年に小田急は冷房化率100%を達成しますが、その時点でも6000系は多くの編成が非冷房という状態でした。
徐々に減ってはいったものの、冷房化率が100%になった後も非冷房車の乗り入れはあり、走行する車両の実態は少し違っていたことになります。
夏は乗り入れを避けるといった運用は行われていたのかもしれませんが、1990代前半の意外な事実といえそうです。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
後に方針を転換し、ハイペースで冷房化を進めることになりましたが、営団地下鉄は冷房車の導入が遅れることになってしまいました。
現在もインドネシアで活躍している車両があるほか、東京メトロでも一部の編成が保存されています。
東京メトロが営団地下鉄だった時代、地下鉄の車両は冷房化が遅れており、1990年代になっても非冷房車が残っていました。
6000系については、いつまで非冷房車が残っていたのでしょうか。
1994年まで残っていた6000系の非冷房車
合計353両が造られた6000系は、多くの編成が非冷房車となっていました。新造時から冷房を搭載したのは僅かに30両で、それ以外は全て冷房化の改造を行っています。

写真提供:小田急指令掛川様
ほとんどが非冷房車だったとはいっても、6122F以降は冷房準備車として造られており、必要な機器を搭載すればすぐに使えるようになっていました。
冷房化改造はこれらの編成を皮切りに1988年から始まり、順次冷房車が増えていくこととなります。
各編成が冷房化された日を、竣功順に記載した結果は以下のとおりです。
6122F:1988年3月29日
6123F:1988年4月20日
6109F:1988年4月25日
6125F:1988年5月6日
6126F:1988年5月26日
6127F:1988年5月27日
6128F:1988年5月29日
6124F:1988年6月24日
6129F:1988年11月21日
6130F:1989年3月25日
6131F:1989年6月14日
6132F:1989年6月17日
6108F:1989年6月23日
6110F:1990年4月17日
6112F:1990年10月19日
6107F:1991年1月22日
6113F:1991年7月31日
6103F:1991年11月8日
6105F:1992年2月29日
6104F:1992年5月5日
6106F:1992年7月28日
6111F:1992年10月20日
6102F:1992年12月25日
6115F:1993年4月5日
6114F:1993年6月9日
6116F:1993年8月13日
6117F:1993年10月12日
6118F:1993年12月17日
6119F:1994年3月7日
6120F:1994年5月13日
6000-1F:1994年5月31日
6121F:1994年7月22日
6101F:1994年9月29日
結果はこのようになっており、完了間際に試作車の冷房化が行われています。
運用が限定されていたことから、他編成よりも優先度を下げられていたということなのでしょう。
全体的に見ると、1988年に冷房準備車から始めているものの、それ以前の編成も少しずつ進んでいたことが分かります。
これはB修工事と合わせて行われていたことによるもので、初期に冷房準備車以外の設置が遅れる原因となりました。
1992年度以降はB修工事を中断し、冷房化を優先する方針に変化したため、設置のペースが上がっています。
そこからは2年ほどで一気に冷房化を進め、1994年に6000系は全編成が冷房車となりました。
非冷房車は小田急に乗り入れたのか
6000系といえば、小田急に乗り入れを行った車両でもありました。小田急の9000形が冷房車として造られたのに対して、6000系は非冷房車ばかりだったことになりますが、地下鉄線内では冷房を使用しない運用となっています。
1989年に小田急は冷房化率100%を達成しますが、その時点でも6000系は多くの編成が非冷房という状態でした。
徐々に減ってはいったものの、冷房化率が100%になった後も非冷房車の乗り入れはあり、走行する車両の実態は少し違っていたことになります。
夏は乗り入れを避けるといった運用は行われていたのかもしれませんが、1990代前半の意外な事実といえそうです。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
トンネル冷房を行っていたことから、6000系は非冷房車としての導入になりましたが、乗り入れ先からすれば厄介な存在だったのかもしれません。後に方針を転換し、ハイペースで冷房化を進めることになりましたが、営団地下鉄は冷房車の導入が遅れることになってしまいました。


コメント
コメント一覧 (10)
それでも1988年まで非冷房車居た印象は無いので、小田急乗り入れは冷房車を優先してたのかもしれません。
加速時のブザー音のようなうるささ。貫通部の大開口による見通しの良さ。牢屋の覗き窓みたいな小さなドア窓(は早々に大型化されてたかな)面白い車両でしたね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
約30年前とは比べもんにならないくらいの酷暑ですから。
ワタシダ
が
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そうそう、6109Fが川重に甲種輸送される際、DE10にけん引されるのを綾瀬駅前の歩道橋の上に見に行きました。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
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こうした問題からその後開業した新規路線でこの工法を採用した区間の増加に向けて車両の冷房化に踏み切ったのは言うまでもなく、既存車両の改造や車両の新旧交代による形で冷房化を行ったとは言え、結果的には平成に入るまで非冷房車が残ったと言えるでしょう(とはいえ、乗り入れ先でも平成に入るタイミングの段階ではまだ非冷房車が多く残っとった関係で決して営団だけ冷房化率が低かった訳ではありませんでしたが、それでも夏場を中心に乗客からは不評の声が寄せられたそうです)。
ワタシダ
が
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しかし営団では銀座線だか丸ノ内線に1997年まで非冷房が残っていたんですね。500形など鋼製車は名古屋市地下鉄100形みたいに冷房搭載せず置き換えられました。
ユーカリが丘線は43年間ずっと、未だに全非冷房という(笑)
ワタシダ
が
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