戦後の混乱期に国鉄の63形を割り当てられ、改造を重ねつつ長く活躍した小田急の1800形。
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
小田急に直接入線した最後のグループとなっており、旧1910Fまでの10編成が揃うこととなります。
相模鉄道に旧1806Fから旧1808Fまでの3編成が譲渡された後も、空いた番号はそのままとされていましたが、1951年に詰めるように改番が行われ、1806Fとされました。
戦時設計の63形をルーツとしつつも、入線後には可能な範囲で徐々に改修が行われ、改善が進められていきます。
最終的には、台枠を流用して全金属製車体に更新されましたが、切妻という個性はそのままであり、小田急の中では最後まで異端車でした。
全金属車体に更新された後も、細部の改良が行われたことで、晩年はかなり小田急らしいスタイルとなりました。
最終的には1805Fと半固定編成化され、先頭に立つのはクハ1856のみとなります。
1800形としては最後まで残る編成となり、1809Fと組んだ状態で江ノ島線で運用されました。
廃車後は他の編成と同様に秩父鉄道に譲渡されましたが、1806Fのみは部品取り用とされたため、早々に解体されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
クハ1856:汽車製造
クハ1856:モハ63191
クハ1856:クハ1859
クハ1856:1947年3月14日
クハ1856:1981年7月30日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1806Fの概要
1947年1月に小田急へと入線した編成で、元々は1809Fを名乗っていました。小田急に直接入線した最後のグループとなっており、旧1910Fまでの10編成が揃うこととなります。
相模鉄道に旧1806Fから旧1808Fまでの3編成が譲渡された後も、空いた番号はそのままとされていましたが、1951年に詰めるように改番が行われ、1806Fとされました。
戦時設計の63形をルーツとしつつも、入線後には可能な範囲で徐々に改修が行われ、改善が進められていきます。
最終的には、台枠を流用して全金属製車体に更新されましたが、切妻という個性はそのままであり、小田急の中では最後まで異端車でした。
全金属車体に更新された後も、細部の改良が行われたことで、晩年はかなり小田急らしいスタイルとなりました。
最終的には1805Fと半固定編成化され、先頭に立つのはクハ1856のみとなります。
1800形としては最後まで残る編成となり、1809Fと組んだ状態で江ノ島線で運用されました。
廃車後は他の編成と同様に秩父鉄道に譲渡されましたが、1806Fのみは部品取り用とされたため、早々に解体されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ1806-クハ1856※左側が新宿方
製造所
デハ1806:汽車製造クハ1856:汽車製造
旧番号(日本国有鉄道)
デハ1806:モハ63250クハ1856:モハ63191
旧番号
デハ1806:デハ1809クハ1856:クハ1859
運用開始日
デハ1806:1947年3月14日クハ1856:1947年3月14日
廃車日
デハ1806:1981年7月30日クハ1856:1981年7月30日
1806Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (4)
でも冬季は他の車両と違い、暖房がとても良く小生は
高校生の頃1800が新宿駅に停車していると、大喜びで乗車して、いつの間にか寝てしまい下車駅の豪徳寺駅を乗り過ごし、終点の向ヶ丘遊園駅まで乗ってしまった事が何度かありました。
その1800が4000型に車体交換されてガッカリしました。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
一時的に1811F+1806Fの編成になっていたので、1811F側に乗車したことがありましたが、広告などは他車と同じようになっていたので、どういう経緯があったのか、今も謎です。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました