元号が昭和から平成に改元された1989年1月は、小田急の車両にとっても歴史が大きく動いている時期でした。
1988年4月から1989年3月までが1988年度にあたりますが、一つの節目となる年度であったようにも思います。

車両の陣容が次のステップへと進みつつあった、1988年度の小田急を振り返ってみたいと思います。

車両の整理が完了する最終段階へ

昭和の小田急は、沿線の急激な発展に翻弄され、輸送力増強に追われ続ける時期が長く続きました。
画期的な車両が登場したことで、ロマンスカーは小田急を象徴する存在となったものの、早々にそれどころではない時代に突入していきます。

輸送力増強にあたっては、編成両数を増やし、車両を大型化する方向で進み、年を追うごとに20mの大型車が増加しました。
列車の本数もラッシュ時を中心に限界まで増やされ、小田急は遅いという悪いイメージも生んでいきます。

1950年代頃から車両の増備が加速し、1960年代には大型車の時代に突入したことから、昭和の小田急は様々なタイプの車両が入り乱れる陣容でした。
運用は複雑化し、効率的といえるような状態ではありませんでしたが、保有する資産で輸送力を確保するためには、やむを得ない選択だったということになります。

このような状況を解消する動きは、急激な人口増加が落ち着いてきた頃でしょうか、1980年代に本格化することとなりました。
20m車である1800形の廃車を皮切りに、旧性能車と中型車の整理が進むこととなります。

果たされた通勤型車両の規格統一

1800形に続き、2200形等のABFM車が淘汰された後は、中型車として2400形、旧性能車として4000形が残る状態となりました。
前者は性能に問題はないが小さい、後者は輸送力に問題はないが性能が劣る、小田急にとって悩ましい状況が生まれます。



この問題に対する解決策は、両車両のよい部分をまとめてしまえであり、2400形からモーターを流用して、4000形を高性能化していく動きとなりました。
同時に冷房化も進めることとなり、昭和の終わりは急速に車両の陣容が変化します。

20251213_02
写真提供:小田急指令掛川

中型車や旧性能車、非冷房の車両が在籍していた最終年度が、今回のテーマである1988年度となりました。
様々なことが同時に達成された年度であり、高性能車と大型車への統一、冷房化率100%の達成と、その後の小田急に繋がる節目となる年度だったのです。

こうして通勤型車両の規格統一が果たされ、運用面でも一定の効率化が果たされました。
一気に車両の置き換えを進めた反動もあり、1990年代の小田急は通勤型車両の安定期となり、複々線化による輸送力増強に取り組んでいくこととなります。



写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。

おわりに

様々なことが同時に達成された1988年度は、変化の集大成ともいえるような年でした。
これからは急激な人口減少時代となっていきますが、ここまでの大きな動きにはならないかもしれませんね。