一部の車両がリニューアルをせずに廃車となり、最盛期より勢力が半減した小田急の1000形。
当初はワイドドア車以外の全車両が更新対象でしたが、何らかの理由で計画が変更されたものと思われます。
リニューアルの計画が変更された背景には、いくつかの理由が複合的に絡んでいるとみられますが、その中の一つとして電磁直通ブレーキがあげられます。
電気指令式ブレーキで製造していたら、未来は違ったのではないかと思ってしまいますが、不可能なことだったのでしょうか。
ロイヤルブルーの帯を巻くという伝統は維持しつつ、無塗装とされた車体は輝いており、まさに新世代の車両といった様相でした。
当時の小田急は、大型車への統一や冷房化率100%を達成するタイミングであり、新世代の車両が合わせて登場したことになります。
分割併合が盛んだった当時の小田急は、大型車の統一によって運用の効率化が図られ、案内もしやすくなりました。
最新鋭の車両だった1000形でしたが、分割併合という運用上の制約が影響し、足回りにはやや時代遅れの電磁直通ブレーキを採用しています。
近未来的な走行音でありながら、昔ながらのブレーキが不思議なハーモニーを奏で、全国的にも珍しい車両となりました。
1000形に続いて登場した2000形では、小田急もついに通勤型車両で電気指令式ブレーキを採用し、8000形のリニューアルによって、電磁直通ブレーキは減少を続けていきます。
2014年度から始まった1000形のリニューアルにおいても、電気指令式ブレーキへの改造が行われることとなりました。

結果としてリニューアルは98両で終わりましたが、施工に時間がかかってしまったことで、電磁直通ブレーキが悪目立ちした面もあったように思います。
リニューアルを行った車両は長く活躍しそうであり、一部が廃車となったのは残念な結末でした。
どういうことかというと、分割併合のために電磁直通ブレーキを採用しておきながら、デビューから日が浅い時期において、それが活躍するシーンは少なかったのです。
まず、1000形は各駅停車の8両化を行うため、同一形式の4両編成を2本繋ぐという原則が適用されました。
千代田線への乗り入れに際しても、1000形による10両編成とされており、そもそも他形式と併結する機会自体が少ない形式だったのです。
運用の都合により、他形式と繋ぐパターンがなかったわけではありませんが、他形式に比べれば圧倒的に少ないものでした。
何が言いたいのかというと、多少の制約は生じるものの、電気指令式ブレーキを採用することは不可能ではなかったように思うのです。
他形式との併結を伴う運用で使うことはできなくなりますが、なんとかなったのではないでしょうか。
3000形の8両固定編成が登場した後、1000形の4両編成は8両での運用から外されていき、ここから他形式との併結が珍しくなくなりました。
従来車に合わせて採用された電磁直通ブレーキは、ブレーキ読み替え装置を使用して3000形との併結を実現しており、なんとも言いようがない結果となっています。
仮に登場時から電気指令式ブレーキであった場合には、3000形の登場による変化に対して、何らかの対処が必要となります。
しかし、3000形を4両編成で導入したり、1000形にブレーキ読み替え装置を搭載することで回避可能であることから、これもまたなんとかなったのではないでしょうか。
従来車との併結が盛んになるのは、3000形の登場後という皮肉な結果であり、少々残念な歴史を辿ってしまうこととなりました。
当初はワイドドア車以外の全車両が更新対象でしたが、何らかの理由で計画が変更されたものと思われます。
リニューアルの計画が変更された背景には、いくつかの理由が複合的に絡んでいるとみられますが、その中の一つとして電磁直通ブレーキがあげられます。
電気指令式ブレーキで製造していたら、未来は違ったのではないかと思ってしまいますが、不可能なことだったのでしょうか。
従来車との併結という呪縛
1988年に営業運転が始まった1000形は、オールステンレスの車体にVVVFインバーター制御を採用し、小田急初を凝縮した車両としてデビューを果たします。ロイヤルブルーの帯を巻くという伝統は維持しつつ、無塗装とされた車体は輝いており、まさに新世代の車両といった様相でした。
当時の小田急は、大型車への統一や冷房化率100%を達成するタイミングであり、新世代の車両が合わせて登場したことになります。
分割併合が盛んだった当時の小田急は、大型車の統一によって運用の効率化が図られ、案内もしやすくなりました。
最新鋭の車両だった1000形でしたが、分割併合という運用上の制約が影響し、足回りにはやや時代遅れの電磁直通ブレーキを採用しています。
近未来的な走行音でありながら、昔ながらのブレーキが不思議なハーモニーを奏で、全国的にも珍しい車両となりました。
1000形に続いて登場した2000形では、小田急もついに通勤型車両で電気指令式ブレーキを採用し、8000形のリニューアルによって、電磁直通ブレーキは減少を続けていきます。
2014年度から始まった1000形のリニューアルにおいても、電気指令式ブレーキへの改造が行われることとなりました。

結果としてリニューアルは98両で終わりましたが、施工に時間がかかってしまったことで、電磁直通ブレーキが悪目立ちした面もあったように思います。
リニューアルを行った車両は長く活躍しそうであり、一部が廃車となったのは残念な結末でした。
実際は少なかった他形式との併結
ワイドドア車の登場や、後半の固定編成化等、やや迷走した感がある1000形の歴史ですが、電磁直通ブレーキについても残念な展開だったように思います。どういうことかというと、分割併合のために電磁直通ブレーキを採用しておきながら、デビューから日が浅い時期において、それが活躍するシーンは少なかったのです。
まず、1000形は各駅停車の8両化を行うため、同一形式の4両編成を2本繋ぐという原則が適用されました。
千代田線への乗り入れに際しても、1000形による10両編成とされており、そもそも他形式と併結する機会自体が少ない形式だったのです。
運用の都合により、他形式と繋ぐパターンがなかったわけではありませんが、他形式に比べれば圧倒的に少ないものでした。
何が言いたいのかというと、多少の制約は生じるものの、電気指令式ブレーキを採用することは不可能ではなかったように思うのです。
他形式との併結を伴う運用で使うことはできなくなりますが、なんとかなったのではないでしょうか。
3000形の8両固定編成が登場した後、1000形の4両編成は8両での運用から外されていき、ここから他形式との併結が珍しくなくなりました。
従来車に合わせて採用された電磁直通ブレーキは、ブレーキ読み替え装置を使用して3000形との併結を実現しており、なんとも言いようがない結果となっています。
仮に登場時から電気指令式ブレーキであった場合には、3000形の登場による変化に対して、何らかの対処が必要となります。
しかし、3000形を4両編成で導入したり、1000形にブレーキ読み替え装置を搭載することで回避可能であることから、これもまたなんとかなったのではないでしょうか。
おわりに
全形式が相互に併結可能となる時期に登場したことは、1000形の足回りを誤った方向に導いてしまったのかもしれません。従来車との併結が盛んになるのは、3000形の登場後という皮肉な結果であり、少々残念な歴史を辿ってしまうこととなりました。


コメント
コメント一覧 (23)
1000の最初の4両X8編成で各停の8両化が始まりました。あるいは2年目からは千代田線直通を念頭に置いた4両だけでなく6両も製造され、実際直通運用の9000から1000への交代が始まりました。電気指令ブレーキで8両・10両固定という選択肢もあったし、検討されていても、社内でそういう声が一定数あったとしても不思議でないのですが、なぜ今の形になったのか、それは何かその時代の必然があったからだし、可能ならばそれを解きほぐしてこそ小田急史研究になります。。
当時10代だった記憶で、1000がデビューしてすぐのころにごくまれに1000X4+9000か8000X4があったような気がします。
それと1251F、1252Fは10両固定が出てくるようになっていったん千代田線乗り入れ機器をはずされ、千代田線乗り入れの拡大で再度千代田線乗り入れ機器搭載の歴史があります(ピクトリアル特集号で確認。4両にも類似の経緯の編成あり)。千代田線乗り入れ非対応時代にこの2編成は4000、5000、8000、9000の4両と頻繁に併結していたのではないでしょうか。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
実際、最初は乗務員から抵抗されるでしょうが、やはり電気指令式の方が運転はしやすいです、特に駅間が短く加減速の多い路線では…。
ワタシダ
が
しました
結果的には、電気指令式の採用を見送ったのは賢明な判断だったと思います。
ワタシダ
が
しました
また、90年代半ばに駅務アルバイトをしていたのですが、たしかに4+4の8連は多かったものの、すでに千代田線直通はほとんど固定に置き換わっていたのと、1000が小田急最大勢力になっていたこともあって、6連はよく湯本急行で後ろに4000とか5000をつないで走っていた気がします。
むしろ、当時はN6があまり優等列車に充当されず、単独運用が多かったのに対して1000の6連単独はあまりみなかったような…
ワタシダ
が
しました
2000形は、南海1000系みたいに電気指令式ブレーキを自社所有の非特急型で初めて採用しました。8連固定で併結を想定しないためですが、新機能(読替装置)試験のために初代4000形と併結したことがあります。
小田急にも特急型以外で電気指令式ブレーキ装備車(営団6000系)が乗り入れていたので、電気指令式ブレーキ自体は乗務員訓練に支障はなかったものの、当時大量に在籍した電磁直通ブレーキ車のおかげで新車も電磁直通を採用せざるを得なかった連鎖が、3000形の読替装置で終焉となったんですね。
泉北高速5000系は、当初南海高野線に乗り入れず泉北完結でしか運用されませんでしたが、これは1000系登場まで南海に特急型しか電気指令式が在籍せず、乗務員訓練が煩雑になるため難色を示されたためですね。
ワタシダ
が
しました
今ではその機関車も希少になったので同じく世代交代かもしれませんね
ワタシダ
が
しました
今ではその機関車も希少になったので同じく世代交代かもしれませんね
ワタシダ
が
しました
ツーハンドルを残しつつ205系のように電気指令式にすることもできたかもしれませんが、205系の操作を見ると電磁直通車のそれとは大分違ったように見えるので難しかったのかなと思います。
運転のフィーリングは非常に重要だと考えていまして、確か都電荒川線では二十年ぐらい前の新型車導入の際にワンハンドルマスコンにしたが、運転感覚が違うということで、後年に改造してツーハンドルに戻したということがあったはずです。
1000系の未更新車は自動ブレーキ運転もできたので当時の運転士からは互換性がある多様な運転が出来る車両と感じられたのではと思います。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
同時期に登場した車両は多くが電気指令式ブレーキを採用した中で、電磁直通ブレーキを採用した車両がなかったのかというとそうでもなく、西武4000系や東武200系、南海2000系や2300系など、実は意外とあったりします。1000形がこれらと異なるのは100両以上のまとまった両数が製造されたことであり、その面でもこれらと比べて少しだけ浮いてしまった感があると思うのは私だけでしょうか?
ワタシダ
が
しました
当時の判断としては6/4で登場したならば、当然だと思います。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました