全線で10両編成の優等列車を走らせ、近年は固定編成化も進んでいる小田急。
かつては相模大野駅などで分割併合を行い、6両や4両に短くなることが基本でしたが、そんな時代は遠い過去の記憶となりつつあります。

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1990年代の小田急では、全線で急行の10両運転を行うために、ホームの延長工事等を精力的に進めていました。
今では当たり前となりましたが、当時の小田急はなぜ10両での通し運転を目指したのでしょうか。

停車時分の短縮と輸送力増強

分割併合が盛んに行われていた時代、小田原線の本厚木駅より先や、江ノ島線の各駅は、一部を除いてホームの長さが6両分しかありませんでした。
電車に乗っていて、ホームが短くなってくると、郊外に出てきたなと感じたことを思い出します。

複々線化の工事が本格化していた1990年代において、小田急は全線で急行の10両運転を行うことを目指していると、頻繁に広報していました。
当初は1995年3月に全線での10両運転を開始する計画だったようですが、この段階では秦野駅までの実施となっています。
全線での実施は1998年のことで、現代に繋がる運行スタイルがスタートしました。

当時の発表を見ていくと、小田急が急行の10両運転を行う狙いが示されています。
それは停車時分の短縮と輸送力の増強とされ、特にラッシュ時を意識してのことだったようです。

停車時分の短縮は、分割併合によって生じるタイムロスを削減し、所要時間の短縮を図ることが狙いでした。
平行ダイヤが導入されていたため、朝のラッシュ時は特に時間がかかり、数分の短縮が利用者に与えるインパクトは大きかったものと思われます。

輸送力の増強は、郊外の発展で利用者が増加しつつあったことから、それを受け入れるための対応でした。
これも当初はラッシュ時を想定していたものと考えられ、その話題と絡めて触れられることが多かったように思います。

10両化よりもかなり遅れた分割併合の廃止

1998年にスタートした全線での10両運転ですが、当初は限定的な実施となりました。
10両で通し運転をする急行はラッシュ時が中心で、分割併合自体は引き続き実施されていくこととなります。

分割併合に大きな変化があったのは、2002年に湘南急行が登場した際のことで、江ノ島線が先行することとなりました。
湘南新宿ラインに対抗するために登場したことから、少しでも所要時間の短縮を図りたいという意図があったのでしょう。

快速急行が登場した2004年以降も、急行は分割併合をする状態が続きました。
2002年にデビューを飾った3000形が6両編成で、将来的に4両編成の増備を想定している付番になっていたことから、そもそも特急以外の分割併合を完全に廃止することは、その時点で決まっていなかったのかもしれません。

全線での10両運転が本格化するのは、箱根登山線に乗り入れる急行が廃止される2008年で、分割併合も大幅に削減されました。
特急以外の分割併合が完全に廃止されるのは2012年で、10両運転の開始から14年ほどが経過してからとなっています。

おわりに

今では当たり前となった10両での運転ですが、元々は限定的な実施が想定されていたようにも思います。
どこかのタイミングで、分割併合を廃止する方向に舵が切られたことになりますが、いつのことだったのでしょうか。