今日に繋がるロマンスカーの流れを生み、御殿場線の電化後は長くあさぎり号に使われた小田急の3000形(SE)。
10年程度の耐用年数を想定して造られながら、結果的に30年以上も活躍することとなりました。
SEが長く使われた背景には、国鉄側の事情で乗り入れ用の車両を変更できなかったことがあり、晩年には更新となる車体修理も行われています。
現在も保存されている車両は、更新後の姿をしていることになりますが、どのように変化しているのでしょうか。
奇しくも耐用年数として想定された10年目のことで、前面のデザインやカラーリングは大きく変化することとなります。
あさぎり号を中心に、改造後のSEは長く使われることとなりますが、1980年代に入っても活躍は続いていました。
7000形(LSE)が登場する際、SEを置き換えることも模索されましたが、国鉄側の事情により実現には至りませんでした。
やむを得ず使い続けることになったSEですが、車両の老朽化が進んでいたことから、1984年度に更新が行われることになりました。
更新は4編成に対して行われ、3021F以降が対象となっています。
各編成の更新が竣功した日は以下のとおりです。
3021F:1985年3月27日
3031F:1985年1月17日
3041F:1984年8月9日
3051F:1984年10月14日
編成が短い5両ということもあり、全20両が1年以内で更新を完了しました。
更新によって見た目にも変化が生じており、晩年は少し違う姿で活躍することとなります。
車体においては老朽化した部分の補修が行われ、内装を一部変更する改造が行われました。

写真提供:小田急指令掛川様
更新前のSEはこのような姿で、晩年と大きくは変わっていません。
利用者の目線では、何が変わったのか分からないレベルだとは思いますが、更新後の見た目は確実に変化することとなります。

写真提供:小田急指令掛川様
更新後のSEはこのような姿になっていました。
間違い探しのような変化ですが、お分かりになりますでしょうか。
印象を大きく変えているのは、開閉可能だった側窓を固定式にする際、寸法が縮小されていることで、横が2cm、縦が5cm短くなりました。
連結面の外幌も変更されており、LSEと同じものになったことで、全体的に整ったスタイルに変化しています。
その他にも、冷房のキセをFRP製に変更したほか、側扉についても交換のうえ電動ロック装置を新設しました。
車内については、化粧板の変更が行われ、一部の編成では座席の表地も交換されました。
SEは1992年に完全な引退を迎えましたが、3021Fがデハ3021の先頭部分を原形に復元のうえ、現在も保存されています。
ロマンスカーミュージアムでその姿を見ることができますが、先頭部分以外は更新後の姿をしているということになります。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
この編成が残ることになっていれば、更新前の姿で復元することができたかもしれませんね。
10年程度の耐用年数を想定して造られながら、結果的に30年以上も活躍することとなりました。
SEが長く使われた背景には、国鉄側の事情で乗り入れ用の車両を変更できなかったことがあり、晩年には更新となる車体修理も行われています。
現在も保存されている車両は、更新後の姿をしていることになりますが、どのように変化しているのでしょうか。
1984年度に更新されたSE
1957年に登場したSEは、1967年から5両に編成を短縮したうえで、国鉄の御殿場線に乗り入れることになりました。奇しくも耐用年数として想定された10年目のことで、前面のデザインやカラーリングは大きく変化することとなります。
あさぎり号を中心に、改造後のSEは長く使われることとなりますが、1980年代に入っても活躍は続いていました。
7000形(LSE)が登場する際、SEを置き換えることも模索されましたが、国鉄側の事情により実現には至りませんでした。
やむを得ず使い続けることになったSEですが、車両の老朽化が進んでいたことから、1984年度に更新が行われることになりました。
更新は4編成に対して行われ、3021F以降が対象となっています。
各編成の更新が竣功した日は以下のとおりです。
3021F:1985年3月27日
3031F:1985年1月17日
3041F:1984年8月9日
3051F:1984年10月14日
編成が短い5両ということもあり、全20両が1年以内で更新を完了しました。
更新によって見た目にも変化が生じており、晩年は少し違う姿で活躍することとなります。
更新によって変化したSE
更新からそこまで長く使うつもりはなかったのか、SEで実施された内容は限定的なものとなっています。車体においては老朽化した部分の補修が行われ、内装を一部変更する改造が行われました。

写真提供:小田急指令掛川様
更新前のSEはこのような姿で、晩年と大きくは変わっていません。
利用者の目線では、何が変わったのか分からないレベルだとは思いますが、更新後の見た目は確実に変化することとなります。

写真提供:小田急指令掛川様
更新後のSEはこのような姿になっていました。
間違い探しのような変化ですが、お分かりになりますでしょうか。
印象を大きく変えているのは、開閉可能だった側窓を固定式にする際、寸法が縮小されていることで、横が2cm、縦が5cm短くなりました。
連結面の外幌も変更されており、LSEと同じものになったことで、全体的に整ったスタイルに変化しています。
その他にも、冷房のキセをFRP製に変更したほか、側扉についても交換のうえ電動ロック装置を新設しました。
車内については、化粧板の変更が行われ、一部の編成では座席の表地も交換されました。
SEは1992年に完全な引退を迎えましたが、3021Fがデハ3021の先頭部分を原形に復元のうえ、現在も保存されています。
ロマンスカーミュージアムでその姿を見ることができますが、先頭部分以外は更新後の姿をしているということになります。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
更新されずに廃車となった編成のうち、3011Fには当初保存の可能性がありました。この編成が残ることになっていれば、更新前の姿で復元することができたかもしれませんね。


コメント
コメント一覧 (7)
冷房のキセはもともと多少のバラエティがあったらしいですが、この車体修理時に横のギャラリが2個一組から、独立した穴に変更され、少し全体の体積も変更され、正面上部のギャラリの形状も扁平から少し立ち上がった形に変更されてます。
意外と知られてないかと思うのですが、SEをSSEにする時、3041Fと3051Fは先頭車化改造で運転台を取り付けたため、タネ車の関係から、窓が全て100ミリずつ前(運転台側)にズレてます。HOゲージで1.25ミリずつずれていることになるので、模型化する際は注意が必要?
ワタシダ
が
しました
もともと冷房なしで登場したため側窓が開くのは当然の事でしたが、
冷房搭載後も開閉可能のままで、車体修理のタイミングで固定窓にしたわけですね。
だいぶ前になりますが、先頭復元後初めての海老名での公開イベント(専用収納庫での見学会)
で、車内見学のとき固定窓の取り付け方を観察したところ、
シーリング材でアルミサッシをきれいに止めてありましたね。
収納庫内で架線供給でないのに車内の照明が点灯しているのが妙に不思議で
係の人に思わず聞いてしまいましたよ。「照明の電源はどうしているの?」って。
あっさり「別のところから引いてきてますよ」って言われました。当たり前ですね。
ふと、ミュージアムの保存車内の照明も、
現役車と同様に蛍光灯からLEDに変えていくのかなって思いました。
ワタシダ
が
しました
リニューアルされずに廃車となった2編成のうち3001Fは大井川鉄道に譲渡されたものの短期間で廃車となり、結果的にはそのまま解体されてしまいましたが、大井川鉄道で廃車となる際に静態保存の前提もあったと聞きました。もしこれが実現したら3011Fとともに未更新の2編成が揃って原型を留めた状態で保存されたのかもしれませんね。
ワタシダ
が
しました
(実質的な耐用年数ではなく、技術革新に伴う相対的な陳腐化や乗客にとっての魅力の低減という意味です)
と割り切った設計でしたね。
もちろん実際には後に登場した車両ともども更新工事やリニューアル工事でアップデートをしていますが、半世紀以上も前に車両の在り方について見通していた点に驚かされます。
他社でジャンルも異なりますが、未来の電車のように感じた209系すら今は少し古さを感じるぐらいですので、戦後そう経っていない時期に「会社の看板となりうる特急電車」について「割り切った設計」を決断した当時のSE車の設計者や企画者の方々の先見の明に頭が下がります。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました