本線となる小田原線から、江ノ島線と多摩線が支線として分岐する小田急。
どちらも立体交差で小田原線と分岐しており、相互に支障することなく運行することが可能となっています。
1929年に開業した江ノ島線は、当初から立体交差で建設されました。
先見の明として語られることが多い構造ですが、なぜそこまでの未来を見据えたのかを考えてみたいと思います。
上り線の接続については、そのままだと平面交差となってしまうため、小田原線の上を跨ぐ立体交差とすることで、お互いの運行を支障しない構造とされました。

比較的高頻度で運行される両線に対して、この立体交差が果たす役割は大きく、ダイヤを組むうえでの制限も生まれなくなっています。
何らかの事象によってダイヤが乱れた際も、相互に支障せずに運行が継続できるため、異常時の対応においてもありがたい設備です。
この立体交差は、江ノ島線が開業した時からのもので、既に100年近い歴史を誇ります。
まだ周辺に何もないような時代であり、とても不思議な風景だったことでしょう。
ここまでの発展は奇跡的とさえいえますが、郊外を発展させたいという思惑は、開業時からあったのではないかと思います。
立派な立体交差を造った江ノ島線との分岐ですが、当時の運行本数は多くても1時間に数本でした。
つまり、少なくとも開業時の段階で立体交差が必要な要素はなく、将来的なことを考えての先行導入だったことは明らかです。
先々のことを見据え、予め立体交差を造ったことは理解できるものの、用地だけを確保しておくという選択肢もあったように思います。
単行でも足りるほどの輸送量だったことを踏まえれば、郊外の発展が相当先になることは想像できますが、それでも最初から立体交差を造っているのです。
少し見方を変えてみると、早々に列車密度が高くなる状況が生まれる、そんなことを想定していたようにさえ思います。
そこで頭に浮かんだのが、実現しなかった林間都市構想でした。
林間都市構想は、東林間駅、中央林間駅、南林間駅の一帯に計画都市を開発し、増収を図ることを目的としていました。
つまり、実現していれば早々に付近の列車密度は高まり、平面交差ではダイヤに制約が生まれていたと考えられます。
林間都市構想は、単純な住宅街を形成するようなものではないため、地域外との輸送需要も見込んでいたと推定されます。
早々に列車密度が高まることを想定していた、それが先見の明にも繋がった、そういう面もあったのかもしれませんね。
ここまでの発展を見込んでいたかはさておき、早々に列車密度が高まるような計画をしていたわけで、根拠があってのことだったのではないでしょうか。
どちらも立体交差で小田原線と分岐しており、相互に支障することなく運行することが可能となっています。
1929年に開業した江ノ島線は、当初から立体交差で建設されました。
先見の明として語られることが多い構造ですが、なぜそこまでの未来を見据えたのかを考えてみたいと思います。
開業時から立体交差で分岐した江ノ島線
相模大野駅から分岐する江ノ島線は、下り線の方向に線路が離れていきます。上り線の接続については、そのままだと平面交差となってしまうため、小田原線の上を跨ぐ立体交差とすることで、お互いの運行を支障しない構造とされました。

比較的高頻度で運行される両線に対して、この立体交差が果たす役割は大きく、ダイヤを組むうえでの制限も生まれなくなっています。
何らかの事象によってダイヤが乱れた際も、相互に支障せずに運行が継続できるため、異常時の対応においてもありがたい設備です。
この立体交差は、江ノ島線が開業した時からのもので、既に100年近い歴史を誇ります。
まだ周辺に何もないような時代であり、とても不思議な風景だったことでしょう。
郊外を発展させたい意思の可能性
開業当時の小田急沿線は、現代のように人口が多い地域ばかりではなく、経営が苦しい時期が続きました。ここまでの発展は奇跡的とさえいえますが、郊外を発展させたいという思惑は、開業時からあったのではないかと思います。
立派な立体交差を造った江ノ島線との分岐ですが、当時の運行本数は多くても1時間に数本でした。
つまり、少なくとも開業時の段階で立体交差が必要な要素はなく、将来的なことを考えての先行導入だったことは明らかです。
先々のことを見据え、予め立体交差を造ったことは理解できるものの、用地だけを確保しておくという選択肢もあったように思います。
単行でも足りるほどの輸送量だったことを踏まえれば、郊外の発展が相当先になることは想像できますが、それでも最初から立体交差を造っているのです。
少し見方を変えてみると、早々に列車密度が高くなる状況が生まれる、そんなことを想定していたようにさえ思います。
そこで頭に浮かんだのが、実現しなかった林間都市構想でした。
林間都市構想は、東林間駅、中央林間駅、南林間駅の一帯に計画都市を開発し、増収を図ることを目的としていました。
つまり、実現していれば早々に付近の列車密度は高まり、平面交差ではダイヤに制約が生まれていたと考えられます。
林間都市構想は、単純な住宅街を形成するようなものではないため、地域外との輸送需要も見込んでいたと推定されます。
早々に列車密度が高まることを想定していた、それが先見の明にも繋がった、そういう面もあったのかもしれませんね。
おわりに
現代において、江ノ島線が立体交差で分岐していることは、小田急にとって貴重な財産となっています。ここまでの発展を見込んでいたかはさておき、早々に列車密度が高まるような計画をしていたわけで、根拠があってのことだったのではないでしょうか。


コメント
コメント一覧 (22)
貨物列車のためでは?
ワタシダ
が
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左右逆ですが?
似たようなケースで単に左右逆にしただけと説もwww
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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同じ時期に都心部の省線(現在のJR)では御茶ノ水、秋葉原、新宿などに大規模な立体交差が作られましたが、郊外の私鉄駅の立体交差は例がありませんね。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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江ノ島線でダイヤ乱れても小田原線に響かないように、という工夫もあったかもしれませんが、今は快速急行とロマンスカー中心に直通が多く、ダイヤ乱れ時リスクはそこそこデカいですね。
ワタシダ
が
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代々木上原駅の平面交差についても、解消が望まれますね。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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町田で分割したあと通過できるようなダイヤを組んでいたとおもいます
今はロマンスカーの分割併合も2番3番もできますが
分割併合ダイヤが多かったのなら上り江ノ島線を立体化したのは効率的だとおもいます
ワタシダ
が
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ワタシダ
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ワタシダ
が
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小田原方面の列車を1両にしてまで所有する車両を総動員して江ノ島への観光輸送にあたったそうです。
そう考えると、平面交差だとスジに支障が出来てしまうので開業時から高架にしたのではないでしょうか。
ただ、整備しているとはいえ竣工から100年近く経っているので老朽化によるアクシデントが心配です。
総取替えするにも、東林間~相模大野間を長期間単線にしてしまっては現在の運転本数ではスジが引けません。
動きがあるとしたら、発表済みの新工場が完成して大野工場が閉鎖後に跡地利用で何かあるかもしれません。
余談ですが、
京王の調布も地下化前のラッシュ時は橋本から来た列車が交差手前で停止信号にかかり、よく遅れていました。
ワタシダ
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相模大野のY線が10両対応なら、現在の町田発着6両急行は10両化のうえ相模大野折り返しにして、江ノ島線各停の一部は町田発着にもできるのでは、、と思いますが実際のところは足柄4駅への対応や車両運用上むずかしいんでしょうね。
ワタシダ
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ワタシダ
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ついでに下り線は相模大野〜東林間で登り勾配にして高架化。
ワタシダ
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開業当時から土地を確保出来ていれば、高度経済成長で、旅客急増時に間に合ったのになあと思います。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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