それまでの鉄道車両にはない画期的な構造を盛り込み、小田急ロマンスカーのイメージを決定付けた3000形(SE)。
1957年のデビュー後、編成短縮等によって姿を変えつつ使われ、1991年に定期運行を終了しました。

写真提供:小田急指令掛川様
そんなSEですが、4編成の竣功日にはデビュー時の動きが反映されています。
日付という面から、SEの歴史を見てみたいと思います。
従来の車両とはあまりにも異なる画期的な車両が、小田急のロマンスカーとしてデビューを飾った年でした。
SEは5月に小田急へと入線し、営業運転の開始に向けて試運転を行いつつ、準備を整えていくこととなりました。
試運転等を終え、SEは7月6日に特急用車両としてデビューし、箱根に多くの乗客を運んでいくこととなります。
SEは最終的に8両が4編成となり、箱根特急の全列車に充当されるようになりました。
約2年の遅れで増備車が造られており、4編成が揃ったタイミングで2300形が特急の運用から外れています。
SEの各編成が竣功した日は以下のとおりです。
3001F:1957年6月22日
3011F:1957年8月9日
3021F:1957年6月22日
3031F:1959年3月2日
最終増備車である3031Fのみ、1959年の竣功となっていることが分かります。
3001Fと3021Fは同日の竣功ですが、3011Fだけは別の日付となっていました。
時系列と合わせてみることで、当時の動きを振り返ってみたいと思います。
まず、5月下旬に3001Fが小田急に到着、6月上旬には3021Fが続きました。
この2本は、いずれも日本車輌製造の東京支店で造られており、7月6日にデビューを飾ることとなります。
1957年のデビュー後、編成短縮等によって姿を変えつつ使われ、1991年に定期運行を終了しました。

写真提供:小田急指令掛川様
そんなSEですが、4編成の竣功日にはデビュー時の動きが反映されています。
日付という面から、SEの歴史を見てみたいと思います。
8両でデビューした4編成の竣功日
ロマンスカーの歴史において、1957年は決して外すことができない年といえます。従来の車両とはあまりにも異なる画期的な車両が、小田急のロマンスカーとしてデビューを飾った年でした。
SEは5月に小田急へと入線し、営業運転の開始に向けて試運転を行いつつ、準備を整えていくこととなりました。
試運転等を終え、SEは7月6日に特急用車両としてデビューし、箱根に多くの乗客を運んでいくこととなります。
SEは最終的に8両が4編成となり、箱根特急の全列車に充当されるようになりました。
約2年の遅れで増備車が造られており、4編成が揃ったタイミングで2300形が特急の運用から外れています。
SEの各編成が竣功した日は以下のとおりです。
3001F:1957年6月22日
3011F:1957年8月9日
3021F:1957年6月22日
3031F:1959年3月2日
最終増備車である3031Fのみ、1959年の竣功となっていることが分かります。
3001Fと3021Fは同日の竣功ですが、3011Fだけは別の日付となっていました。
高速試験に供された3011F
竣功日を確認してみた結果、1957年に登場した3本は編成順に竣功していないことが分かりました。時系列と合わせてみることで、当時の動きを振り返ってみたいと思います。
まず、5月下旬に3001Fが小田急に到着、6月上旬には3021Fが続きました。
この2本は、いずれも日本車輌製造の東京支店で造られており、7月6日にデビューを飾ることとなります。
SEの就役により1700形の一部は特急運用から外れ、通勤型車両への格下げ改造が始まりました。
7月6日に2編成がデビューしたSEですが、第2編成となる3011Fが竣功したのは8月9日となっています。
つまり、営業運転が始まってから、3011Fは竣功したことになります。
3011Fは川崎車輛の製造で、8月8日に小田急へと入線し、翌日に竣功しました。
竣功した3011Fは、小田急での営業列車には入らず、9月20日より国鉄線上で高速試験を行います。
この試験において、狭軌の鉄道車両としては世界最速となる145km/hを記録し、歴史にその名を刻みました。
試験を終えた3011Fは、10月1日から営業運転へと投入され、SEは3編成の体制となります。
3編成が出揃ったことで1700形は完全に特急運用から外れ、3031Fの登場まではSEと2300形の4本体制となりました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
初年度に3本を造りつつ、遅れて1本の増備となったことには、暫定的に造られた2300形の存在が影響していたといえそうですね。
7月6日に2編成がデビューしたSEですが、第2編成となる3011Fが竣功したのは8月9日となっています。
つまり、営業運転が始まってから、3011Fは竣功したことになります。
3011Fは川崎車輛の製造で、8月8日に小田急へと入線し、翌日に竣功しました。
竣功した3011Fは、小田急での営業列車には入らず、9月20日より国鉄線上で高速試験を行います。
この試験において、狭軌の鉄道車両としては世界最速となる145km/hを記録し、歴史にその名を刻みました。
試験を終えた3011Fは、10月1日から営業運転へと投入され、SEは3編成の体制となります。
3編成が出揃ったことで1700形は完全に特急運用から外れ、3031Fの登場まではSEと2300形の4本体制となりました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
製造メーカーや高速試験という要素が、SEの竣功日には隠れていました。初年度に3本を造りつつ、遅れて1本の増備となったことには、暫定的に造られた2300形の存在が影響していたといえそうですね。


コメント
コメント一覧 (7)
ですから、昭和37年生まれ以降(現在64歳以下)の人類には3000系SE車の本当の価値はわかっていませんので、登場時の話は歴史上の昔話のようで、海老名で1両がSEの姿に復元されても正直に言ってさほど懐かしくはないし、むしろ目新しくてわざとらしいリバイバルの作為を感じる反面、復元されていないSSEの車両のほうが懐かしくて童心に返るのですが、それとともに、もっと早く生まれていれば1600系、キハ5000もこの目で見られたのに、青と黄色の旧塗装の通勤車両も見られたのにという悔しさがどこからか湧き上がって来るのです。
ワタシダ
が
しました
その後も第1回ローレル賞を受賞したり、御殿場線直通列車用に抜擢されたり(その際に編成が8両から5両に短縮され、前面のデザインが大きく変化しました)、一部がリニューアルを受けつつも最終的には1991年まで活躍を続けるという、華々しい車歴を歩んだのもこれまた感慨深いものです。元々10年程度での使用を前提としつつ、最終的には35年近くまで生き延びたのはある意味奇跡的でした。そんな初代SEですが、現在も一部がロマンスカーミュージアムに保存されており、正に名車中の名車と言えるべきロマンスカーでした。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
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