1960年に営業運転を開始し、小田急に本格的な高性能車の時代をもたらした2400形。
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2459Fとは同日の竣功となっており、製造メーカーも同じ日本車輌製造です。
基本的な仕様は1次車と変わりませんが、外板と屋根板の厚さが変更されました。
1979年以降には小規模な車体修繕が行われ、腰部の外板が貼り替えられています。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
1987年度に廃車となり、取り外されたモーターが4000形に転用されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2411:調査中
デハ2412:調査中
クハ2462:調査中
デハ2411:日本車輌製造
デハ2412:日本車輌製造
クハ2462:日本車輌製造
デハ2411:1960年7月25日
デハ2412:1960年7月25日
クハ2462:1960年7月25日
デハ2411:1987年12月16日
デハ2412:1987年12月16日
クハ2462:1987年12月16日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2400形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2461Fの概要
1960年に登場した編成で、2400形の第6編成にあたります。2459Fとは同日の竣功となっており、製造メーカーも同じ日本車輌製造です。
基本的な仕様は1次車と変わりませんが、外板と屋根板の厚さが変更されました。
1979年以降には小規模な車体修繕が行われ、腰部の外板が貼り替えられています。
各駅停車から急行まで、大型車との併結も行いつつ幅広い運用で活躍しました。
1987年度に廃車となり、取り外されたモーターが4000形に転用されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
クハ2461-デハ2411-デハ2412-クハ2462※左側が新宿方
製造区分
クハ2461:調査中デハ2411:調査中
デハ2412:調査中
クハ2462:調査中
製造所
クハ2461:日本車輌製造デハ2411:日本車輌製造
デハ2412:日本車輌製造
クハ2462:日本車輌製造
竣功日
クハ2461:1960年7月25日デハ2411:1960年7月25日
デハ2412:1960年7月25日
クハ2462:1960年7月25日
廃車日
クハ2461:1987年12月16日デハ2411:1987年12月16日
デハ2412:1987年12月16日
クハ2462:1987年12月16日
2461Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (7)
急行箱根湯本・江ノ島が8両だった時、前4両が2400 の急行箱根湯本行・後4両が5000の急行江ノ島行だったと思います。
ワタシダ
が
しました
続きです。
相模大野では大型10両の冷房車を、指をくわえて見ていたものです。
ワタシダ
が
しました
当時は朝ラッシュの江ノ島線で多く使われていて
混んでいて、当然ながら非冷房でフラット多発で騒がしくて、まるで修行のような車両でしたね!
検査明けな静かでしたが。
新宿方面に向かう列車の大半が、大型10りょ
ワタシダ
が
しました
乗務員室のすぐ後ろに、横座りですが片側2人ずつのシートがあって、子供には人気でした。準(擬?)展望席と言ったところでしょうか。
あれも2400形が最後でした。
ワタシダ
が
しました
新百合ヶ丘駅で多摩線の始発に乗ろうとして階段を駆け降りたところ、目の前でドアが閉まってしまったのだが、車掌さんが再びドアを開けてくれたのである。
お陰で小生は目的の電車に乗ることができた。
大らかで寛容な時代であった。
ホームドアもなく、LEDの電光掲示板もない昭和の鉄道会社では、駅員さんも車掌さんも不機嫌に駆け込み乗車へのお説教することなど皆無であった。
2400系はドア上の液晶モニターどころか冷房もなかったが、その分時間がゆっくり流れていた。
令和の電車に比べると狭くてうるさかったが、2400系に乗る客の社会格差はあまり大きくなく、皆がそれなりに豊かな生活ができていた。
駅には黒板形式の伝言板があり、それにチョークで書き込むというアナログ社会は、他人の失敗や未熟さにも寛容で、仮に令和であれば厳しくバッシングされるようなことにも許し合う空気があった。
携帯電話もスマホもSNSもない社会では、時間や色々なことに追われることなく、困った時には誰かが手を差し伸べてくれた。
現在の小田急の電車は、2400系に比べれば格段に綺麗で進化しているが、それに乗る人々は「正解」や「ルール」に縛られ、「これができなければダメ」という基準に厳しく追われ、希薄な人間関係の中で疲弊しているようである。
2400系という車両を一言で総括すれば、「働けば報われ、年齢とともに豊かになり、将来に対しての不安が少なかった日本人が乗っていた電車」ということになろう。
ワタシダ
が
しました