戦後の混乱期に国鉄の63形を割り当てられ、改造を重ねつつ長く活躍した小田急の1800形。
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
他の1800形と同様に、私鉄に割り当てられた国鉄の63形ですが、運用区間の制限で扱いにくかった名古屋鉄道より、小田急が譲り受けた経緯となっています。
小田急に入線した際は、従来から在籍する車両の続番とされましたが、実際には相模鉄道への譲渡により欠番が発生していました。
そこで、1951年に1800形全体で番号の整理が行われ、1812Fは1809Fに変更された経緯があります。
63形の面影を残しつつも、戦時設計の部分を中心に小改良が進められましたが、最終的には台枠を流用して車体を一新し、全金属製の洗練された姿へと生まれ変わりました。
改良は車体の一新後も行われ、切妻であることに63形の面影を残しつつ、小田急らしいスタイルへと変わっていきます。
晩年は1810Fと半固定編成化され、先頭に出るデハ1809のみが、方向幕の自動化等の改造を受けていました。
1800形として最後まで在籍し、最終的には1806Fと組んで江ノ島線の運用で余生を過ごしましたが、1981年のさよなら運転後に廃車となっています。
廃車後は秩父鉄道に譲渡され、カラーリング以外は小田急時代とほぼ変わらない姿で、800系として活躍しました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
クハ1859:近畿車輌
クハ1859:モハ63274
クハ1859:ク2705
クハ1859:クハ1862
クハ1859:1948年12月30日
クハ1859:1981年7月30日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1809Fの概要
1800形の第12編成として、1948年に1812Fとして導入されました。他の1800形と同様に、私鉄に割り当てられた国鉄の63形ですが、運用区間の制限で扱いにくかった名古屋鉄道より、小田急が譲り受けた経緯となっています。
小田急に入線した際は、従来から在籍する車両の続番とされましたが、実際には相模鉄道への譲渡により欠番が発生していました。
そこで、1951年に1800形全体で番号の整理が行われ、1812Fは1809Fに変更された経緯があります。
63形の面影を残しつつも、戦時設計の部分を中心に小改良が進められましたが、最終的には台枠を流用して車体を一新し、全金属製の洗練された姿へと生まれ変わりました。
改良は車体の一新後も行われ、切妻であることに63形の面影を残しつつ、小田急らしいスタイルへと変わっていきます。
晩年は1810Fと半固定編成化され、先頭に出るデハ1809のみが、方向幕の自動化等の改造を受けていました。
1800形として最後まで在籍し、最終的には1806Fと組んで江ノ島線の運用で余生を過ごしましたが、1981年のさよなら運転後に廃車となっています。
廃車後は秩父鉄道に譲渡され、カラーリング以外は小田急時代とほぼ変わらない姿で、800系として活躍しました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ1809-クハ1859※左側が新宿方
製造所
デハ1809:日本車輌製造クハ1859:近畿車輌
旧番号(日本国有鉄道)
デハ1809:モハ63181クハ1859:モハ63274
旧番号(名古屋鉄道)
デハ1809:モ3705クハ1859:ク2705
旧番号
デハ1809:デハ1812クハ1859:クハ1862
運用開始日
デハ1809:1948年12月30日クハ1859:1948年12月30日
廃車日
デハ1809:1981年7月30日クハ1859:1981年7月30日
1809Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (4)
小田急1800形は厚木→本厚木の一度だけ。気付いたら秩父鉄道へ移籍しており、父のカメラを借りて乗り鉄&撮り鉄しに行きましたが、乗れずじまいで残念でなりません…
ワタシダ
が
しました
乗務員室と客扉の間の窓は、座席の無い立席スペース。
鉄製でHゴム止めの子どもには重たすぎる窓を全開にして、吊掛モーターの音と制動時の鉄粉の匂いを嗅ぐ。
今なら危険!と注意されるほど顔を出して風を感じていました。
危ないけど、良き時代だった気がします。
ワタシダ
が
しました
グロベンといえば国鉄(国電・E電)とイコールであり、なぜか西武が採用していた他は、私鉄ではほとんど見られなかった。
その西武の101系の中には、小田急ばりに分散型冷房機を5個並べたものがあり、西武の中では異端であった。
また、西武の2000系は20メートルの4扉車であり、集中型冷房機とグロベンの組み合わせは独特であった。
小田急1800系は秩父鉄道に譲渡され、旧国鉄101系とのグロベン並びが見られたほか、御花畑駅近辺では西武101系との並走が見られたものである。
今般、小田急8000系がサステナ車両だか何だかと呼ばれているが、このような歴史を知らずに車両の動向を語るのは、不勉強との誹りを免れない。
最近の鉄道ファンのものの見方が浅いのは、教養のレベルが低下していることが原因なのだろうか。
ワタシダ
が
しました