驚異的なペースで増備され、今日まで小田急の最多勢力として活躍を続ける3000形。
小田急の利用者にとって、見ない日はないとさえいえる存在ですが、人気についてはいまひとつというところでしょうか。

現代においては、やたらと見かける車両となった3000形ですが、デビューして間もない頃においては、当然珍しい存在という時期もありました。
意外と支線で見かける機会が多かった印象ですが、それはなぜだったのでしょうか。

江ノ島線や多摩線でよく見かけた3000形

2002年2月10日にデビューした3000形は、初採用のブレーキ読替装置を活かし、様々な運用で活躍できる車両でした。
最新鋭の機器を搭載しつつ、従来車との併結運用を可能としたことは画期的で、世代交代を円滑に進めるにあたっての起爆剤にもなっています。

初期段階における3000形は、その後と比較して増備のペースがゆるやかで、初期型といえる3251Fから3262Fまでの各編成は、2001年度、2002年度、2003年度に4編成ずつが増備されました。
増備の目的は2600形の置き換えであり、小田急顔の車両は減少を続けていくこととなります。

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最新型である3000形は、他形式と併結して10両で運行する一方で、江ノ島線や多摩線を中心に6両単独でも頻繁に見ることができました。
支線を走る各駅停車といえば、比較的引退が近い車両というイメージの当時、3000形の走行は意外だと感じたことを思い出します。

2600形と共通運用だった影響

頻繁に支線でも運用された3000形ですが、なぜそのようなことが起きていたのでしょうか。
新しい車両を支線の各駅停車に充当することは、少々もったいないようにも思いますが、当時ならではの事情が影響しています。

3000形の増備が始まる段階において、2600形は6両だけが12編成残っていました。
12編成という数字でなんとなく見えてきますが、3000形の初期型と編成数が同じということになります。

当時における2600形の運用は、A11からA16、A21からA26までとなり、合計で12運用でした。
最新鋭の3000形ではありましたが、運用は基本的に2600形と共通だったため、支線での運用がセットになったという構図です。
それでも、当時の2600形は運用の幅が広くなっていたことから、箱根登山線にも日常的に入線しており、そこまで都合が悪い運用でもありませんでした。

当時において制限が多い車両は、箱根登山線に乗り入れができない4000形で、支線での運用はこちらが中心だった背景もあります。
2600形が晩年に全線を走り回っていたため、3000形をその運用に入れるのは合理的だった面もありそうです。

おわりに

古い車両に混ざりつつ、支線でも登場当初から活躍していた3000形。
現代においては、6両編成の減少で支線の主といった存在ですが、当面は今の状態が続きそうですね。