代々木上原駅まで全通したことに合わせ、1978年にスタートした小田急と千代田線の相互直通運転。
小田急からは9000形が、営団地下鉄(現在の東京メトロ)からは6000系が乗り入れを担い、準急列車として運行されるようになりました。

写真提供:小田急指令掛川様
複々線化が進んでいく中で、直通列車は今日まで増加してきましたが、開始当初はどのような設定だったのでしょうか。
代々木上原駅まで千代田線が延伸したことに合わせたもので、代々木八幡駅と代々木公園駅での乗り換えも終焉を迎え、新しい時代が始まることとなります。
相互直通運転の開始当初、列車は全て小田急線内を準急として運行しました。
1日の本数はそこまで多くなく、運行されるのも平日のみという限定されたもので、基本的にはラッシュ時を中心とした設定とされています。
開始当初における、上り列車の運行時刻は以下のとおりで、本厚木駅の発車時刻と行先を記載しました。
6時43分:綾瀬(スキップ準急)
6時52分:綾瀬
7時27分:綾瀬
7時41分:綾瀬
7時53分:綾瀬
9時16分:綾瀬
9時37分:我孫子
10時23分:綾瀬
10時50分:我孫子
11時19分:綾瀬
18時6分:我孫子
18時47分:我孫子
20時40分:我孫子
21時3分:我孫子
行先は綾瀬か我孫子のどちらかとなっており、後者は必然的に営団地下鉄の6000系だったことになります。
ほとんどの列車が午前中に設定されており、午後は僅かに4本という少なさでした。
最初に運行される1本のみ、百合ヶ丘、読売ランド前、生田の各駅を通過する特殊な列車が存在し、これはスキップ準急と呼ばれます。
車両は小田急の9000形が使用され、前面にはそれを示す案内が掲出されていました。
下り列車といえば、夕方以降のラッシュ時が思い浮かびますが、どうなっていたのでしょうか。
以下は下り列車の運行時刻をまとめたもので、代々木上原駅の発車時刻と出発駅を記載しました。
7時57分:我孫子
8時14分:我孫子
8時28分:我孫子
8時57分:我孫子
9時30分:我孫子
10時47分:綾瀬
11時47分:綾瀬
15時48分:綾瀬
16時12分:綾瀬
16時23分:綾瀬
16時53分:我孫子
17時29分:我孫子
19時22分:柏
19時43分:柏
上り列車とは異なり、意外と午前中にも設定があったことが分かります。
しかしながら、午後に運行される列車はやはり多く、帰宅時の足として機能していました。
スキップ準急は下り列車に存在せず、比較的シンプルな設定でした。
出発駅が綾瀬となるのは5本だけで、これらが9000形の運用だったということになります。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
小田急は5運用を担当することとなりましたが、9000形には千代田線内を往復する列車が設定され、走行距離の調整が図られていました。
小田急からは9000形が、営団地下鉄(現在の東京メトロ)からは6000系が乗り入れを担い、準急列車として運行されるようになりました。

写真提供:小田急指令掛川様
複々線化が進んでいく中で、直通列車は今日まで増加してきましたが、開始当初はどのような設定だったのでしょうか。
上り列車の運行時刻
1978年3月31日のダイヤ改正において、念願であった小田急と千代田線の相互直通運転が始まりました。代々木上原駅まで千代田線が延伸したことに合わせたもので、代々木八幡駅と代々木公園駅での乗り換えも終焉を迎え、新しい時代が始まることとなります。
相互直通運転の開始当初、列車は全て小田急線内を準急として運行しました。
1日の本数はそこまで多くなく、運行されるのも平日のみという限定されたもので、基本的にはラッシュ時を中心とした設定とされています。
開始当初における、上り列車の運行時刻は以下のとおりで、本厚木駅の発車時刻と行先を記載しました。
6時43分:綾瀬(スキップ準急)
6時52分:綾瀬
7時27分:綾瀬
7時41分:綾瀬
7時53分:綾瀬
9時16分:綾瀬
9時37分:我孫子
10時23分:綾瀬
10時50分:我孫子
11時19分:綾瀬
18時6分:我孫子
18時47分:我孫子
20時40分:我孫子
21時3分:我孫子
行先は綾瀬か我孫子のどちらかとなっており、後者は必然的に営団地下鉄の6000系だったことになります。
ほとんどの列車が午前中に設定されており、午後は僅かに4本という少なさでした。
最初に運行される1本のみ、百合ヶ丘、読売ランド前、生田の各駅を通過する特殊な列車が存在し、これはスキップ準急と呼ばれます。
車両は小田急の9000形が使用され、前面にはそれを示す案内が掲出されていました。
下り列車の運行時刻
ここからは、下り列車について引き続き確認してみたいと思います。下り列車といえば、夕方以降のラッシュ時が思い浮かびますが、どうなっていたのでしょうか。
以下は下り列車の運行時刻をまとめたもので、代々木上原駅の発車時刻と出発駅を記載しました。
7時57分:我孫子
8時14分:我孫子
8時28分:我孫子
8時57分:我孫子
9時30分:我孫子
10時47分:綾瀬
11時47分:綾瀬
15時48分:綾瀬
16時12分:綾瀬
16時23分:綾瀬
16時53分:我孫子
17時29分:我孫子
19時22分:柏
19時43分:柏
上り列車とは異なり、意外と午前中にも設定があったことが分かります。
しかしながら、午後に運行される列車はやはり多く、帰宅時の足として機能していました。
スキップ準急は下り列車に存在せず、比較的シンプルな設定でした。
出発駅が綾瀬となるのは5本だけで、これらが9000形の運用だったということになります。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
1日に14往復が設定され、1978年からスタートした小田急と千代田線の直通運転。小田急は5運用を担当することとなりましたが、9000形には千代田線内を往復する列車が設定され、走行距離の調整が図られていました。


コメント
コメント一覧 (18)
本文にある、本厚木発7時41分の準急綾瀬行きは、江ノ島線沿線の同級生が、相模大野〜鶴川館で利用していました。
日中に綾瀬から本厚木に戻ってきた9000形10両編成の中に、そのままの10両編成で相模大野発16時06分頃の急行新宿行きになる運用があり、鶴川発16時10分の各駅停車新宿行きと、新百合ヶ丘で接続していました。この急行は、最後尾の1号車には、新百合ヶ丘でも空席があったので、私は帰宅時に好んで利用していました。また、新百合ヶ丘でこの急行を待っている最中に、下り線では、代々木上原発15時48分の準急本厚木行きが、急行の待避を行っていました。この急行は、新宿到着後、折り返し16時50分発の急行相模大野行きとなり、代々木上原から向ヶ丘遊園までは代々木上原発16時53分の準急我孫子発本厚木行きのすぐ後ろを走り、向ヶ丘遊園でこの準急を抜きました。また、相模大野では切り離しを行い、小田原線と江ノ島線の各駅停車になりました。
私が3年生になった1985年には、選択授業の関係で朝が遅い日があり、そのような日は、新宿から代々木上原まで各駅停車を利用した上で、代々木上原発9時30分の準急我孫子発本厚木行きを利用していました。
帰宅時に6000系に乗車する機会は少なかったものの、試験で帰りが早い日には、本厚木発10時50分の準急我孫子行きや本厚木発11時19分の準急綾瀬行きに、また、行事で帰りが遅い日には、本厚木発18時06分の準急我孫子ゆきに乗車する機会がありました。6000系6029F以降の緑色シート車に初めて乗車したのが、学校帰りの小田急線内でした。
ワタシダ
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逆に朝ラッシュ時は当時からそれなりに本数があり、新宿駅の混雑を緩和するために千代田線を積極的に活用していたことが分かります。
ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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ワタシダ
が
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私は新入社員時の配属が本厚木でした。本厚木止まりはY線に入るので止まりの電車はお客様を全員下車させるのですが10両編成は駅からも2人出ます。6000形は連結間の見通しが良かったんですごい楽でしたね~。車掌になってからはさすが100Km以上(電車区間だから常磐線側の折り返しは清掃も入ってなかったかもなんで)走行してきたので新聞・雑誌の量が半端じゃなくて目の前が見えないくらい抱えて折返ししましたよ。なので本厚木上りホーム一番小田原方のごみ箱はたいていパンパンでしたよ(笑)
ワタシダ
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平日午後の早い時間に町田駅の上りホームで電車を待っていると、突然こんなアナウンスが流れたものです。
ワタシダ
が
しました
9000形は6∔4両が合計9本あるので、乗り入れない残りの編成は、通常は新宿発着の列車の一部となっていましたね。
当時通学で毎朝乗車していた10連の準急新宿行きが、
2200系FM車のブツ6連+9000形の4連で、9000形が小田原側のいわゆる逆10両編成。
真夏は9000形4両の冷房の誘惑にも負けずに、非冷房のブツ6に乗車していました(新宿の階段の位置の関係)
また当時は休日は千代田線乗り入れが無いので、
休日になると近郊区間の各駅停車には2600形に混じって9000形6連が投入されており新鮮でした。
現在も休日ダイヤでは小田急車の千代田線乗り入れが減るので、
その分4000形の快速急行や各駅停車が増加しますね。
休日のC運用(4000形の運用)は、約半数が地下鉄非乗り入れ運用に設定されているからです。
ワタシダ
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4000形や16000系、E233系2000番台の3形式が直通するようになった今では小田急からの直通は一気に増加しましたが、その背景に綾瀬発着列車の少ない時間帯に小田急直通列車の設定が困難であるという事情がありました。当時は小田急車の運用数が少なかったのでさほど大きな問題ではなかったものの、後年になって小田急からの直通が増加したことでそれがダイヤ上のネックとなり、代走時の車両運用にも不都合があったことなどから3社直通対応に踏み切ったと言えるでしょう。
ちなみに当時の直通用形式である9000形には、常磐緩行線乗り入れ用アンテナの準備工事が行われており、このタイミングで常磐緩行線にも乗り入れたらどのような世界線が描かれたのでしょうね。
ワタシダ
が
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その訳は2016年から回送で伊勢原まで折り返していましたが、それを客扱い出来ないかとの声も地元から多数出ていました。
ダイヤによっては、10両編成の千代田線からの直通列車を本厚木で4両編成の列車に乗り換えさせられ、10両編成はそのまま伊勢原まで回送するので、客扱いすべきとの意見も。
当時は小田急、メトロ、JRの車両走行キロ調整を均等にしている点で、回送列車も含まれる点に着目し、そのまま回送列車も客扱い可能と書いた記述も。
ワタシダ
が
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(せいぜい百合ヶ丘ー生田間の救済程度?)
乗り入れ相手の6000系もインドネシアでまだ現役とはいえ既にチョッパ車が7000系や203系と共に全廃、サークルEこと6101fも運用離脱して10本(うち田窓車は6108fのみ)に減少しており、いよいよ最終章に突入した感があります。
ワタシダ
が
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運用番号は95Eで、朝海老名出庫して本厚木まで回送し本厚木から準急で綾瀬まで行き、綾瀬到着後折り返し千代田線内運用を4往復し、夕方綾瀬から準急本厚木行になり本厚木到着後、相模大野で急行になる各駅停車新宿行で新宿に行き、新宿から急行小田原/片瀬江ノ島行になり、相模大野で分割し、最終的には海老名入庫になる運用だったようです。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました