平日と土休日にダイヤを分け、曜日によって異なる需要に合わせた運行を行う小田急。
現在の分け方になったのは、1991年3月16日のダイヤ改正からで、それ以前は土曜日が平日の扱いでした。
そんな時期の小田急においては、土曜日の午後にのみ運行する急行列車が存在し、土曜急行と呼ばれていました。
土曜急行が設定されていた当時、新宿駅の発車時刻はどうなっていたのでしょうか。
そのため、土曜日は平日ダイヤで列車が運行されており、日曜日と祝日のみが別のダイヤだったということになります。
現代とは位置付けが異なる土曜日ですが、当時においても普通の平日とは少し異なる面がありました。
それは午後が休みになるという点で、仕事は午前中のみというスタイルで、学校の授業についても同様でした。
そのような世の中だったため、土曜日の午後にのみ発生する旅客需要があり、それをさばくために臨時の急行列車が運行されます。
俗に土曜急行と呼ばれる列車で、通常は列車の本数が少ない平日の時間帯において、それを埋めるように設定されていました。

写真提供:小田急指令掛川様
土曜急行は相模大野行きというのが基本で、時期により様々な形式や編成が充当されています。
この写真が土曜急行とは断定できませんが、相模大野行き自体がそこまで多い存在ではなかったようです。
今回は1978年3月31日の改正後におけるダイヤで、土曜急行の設定状況を確認しました。
以下は新宿駅を発車する急行の時刻で、土曜急行であることが分かるように記載したものです。
・6時1分
・6時31分
・6時41分
・6時58分
・7時11分
・7時17分
・7時31分
・7時37分
・7時54分
・8時2分
・8時6分
・8時15分
・8時18分
・8時24分
・8時31分
・8時43分
・8時57分
・9時4分
・9時13分
・9時17分
・9時32分
・9時44分
・9時50分
・10時2分
・10時13分
・10時32分
・10時46分
・11時2分
・11時16分
・11時32分
・11時46分
・12時2分
・12時16分
・12時32分
・12時46分
・13時2分
・13時13分
・13時19分(土曜急行)
・13時32分
・13時43分
・13時49分(土曜急行)
・14時2分
・14時13分
・14時19分(土曜急行)
・14時32分
・14時43分
・14時49分(土曜急行)
・15時2分
・15時13分
・15時19分(土曜急行)
・15時32分
・15時46分
・16時2分
・16時13分
・16時24分
・16時32分
・16時43分
・16時54分
・17時2分
・17時13分
・17時19分
・17時28分
・17時34分
・17時44分
・17時52分
・17時58分
・18時4分
・18時14分
・18時22分
・18時28分
・18時34分
・18時44分
・18時52分
・18時58分
・19時4分
・19時14分
・19時22分
・19時28分
・19時34分
・19時44分
・19時52分
・20時2分
・20時12分
・20時22分
・20時32分
・20時42分
・20時52分
・21時2分
・21時12分
・21時22分
・21時32分
・21時42分
・21時52分
・22時2分
・22時15分
・22時32分
・22時45分
・23時5分
・23時14分(土曜急行)
・23時35分
結果はこのようになっており、13時台から30分おきに設定されていました。
興味深いのは23時にも1本だけ設定されていることですが、休日ダイヤは遅い時間の急行が多いことから、通常の平日よりも利用者が多かったのでしょう。
快速急行がない時代、1時間に急行が4本だけだったというのも、近郊区間を重視したダイヤが組まれていた当時ならではでしょうか。
他に準急も走っていますが、各駅停車が中心だったのがこの結果からも見えてきますね。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
充当された形式が様々だったようなので、そういった面もいつか調べてみたいところです。
現在の分け方になったのは、1991年3月16日のダイヤ改正からで、それ以前は土曜日が平日の扱いでした。
そんな時期の小田急においては、土曜日の午後にのみ運行する急行列車が存在し、土曜急行と呼ばれていました。
土曜急行が設定されていた当時、新宿駅の発車時刻はどうなっていたのでしょうか。
半ドンの時代を支えた土曜急行
現在は多くの企業で週休2日制となっていますが、昔は土曜日にも仕事があるというのは普通のことでした。そのため、土曜日は平日ダイヤで列車が運行されており、日曜日と祝日のみが別のダイヤだったということになります。
現代とは位置付けが異なる土曜日ですが、当時においても普通の平日とは少し異なる面がありました。
それは午後が休みになるという点で、仕事は午前中のみというスタイルで、学校の授業についても同様でした。
そのような世の中だったため、土曜日の午後にのみ発生する旅客需要があり、それをさばくために臨時の急行列車が運行されます。
俗に土曜急行と呼ばれる列車で、通常は列車の本数が少ない平日の時間帯において、それを埋めるように設定されていました。

写真提供:小田急指令掛川様
土曜急行は相模大野行きというのが基本で、時期により様々な形式や編成が充当されています。
この写真が土曜急行とは断定できませんが、相模大野行き自体がそこまで多い存在ではなかったようです。
1978年後半における新宿駅の発車時刻
土曜急行はどのような設定だったのか、昔の時刻表を確認して振り返ることとします。今回は1978年3月31日の改正後におけるダイヤで、土曜急行の設定状況を確認しました。
以下は新宿駅を発車する急行の時刻で、土曜急行であることが分かるように記載したものです。
・6時1分
・6時31分
・6時41分
・6時58分
・7時11分
・7時17分
・7時31分
・7時37分
・7時54分
・8時2分
・8時6分
・8時15分
・8時18分
・8時24分
・8時31分
・8時43分
・8時57分
・9時4分
・9時13分
・9時17分
・9時32分
・9時44分
・9時50分
・10時2分
・10時13分
・10時32分
・10時46分
・11時2分
・11時16分
・11時32分
・11時46分
・12時2分
・12時16分
・12時32分
・12時46分
・13時2分
・13時13分
・13時19分(土曜急行)
・13時32分
・13時43分
・13時49分(土曜急行)
・14時2分
・14時13分
・14時19分(土曜急行)
・14時32分
・14時43分
・14時49分(土曜急行)
・15時2分
・15時13分
・15時19分(土曜急行)
・15時32分
・15時46分
・16時2分
・16時13分
・16時24分
・16時32分
・16時43分
・16時54分
・17時2分
・17時13分
・17時19分
・17時28分
・17時34分
・17時44分
・17時52分
・17時58分
・18時4分
・18時14分
・18時22分
・18時28分
・18時34分
・18時44分
・18時52分
・18時58分
・19時4分
・19時14分
・19時22分
・19時28分
・19時34分
・19時44分
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・20時2分
・20時12分
・20時22分
・20時32分
・20時42分
・20時52分
・21時2分
・21時12分
・21時22分
・21時32分
・21時42分
・21時52分
・22時2分
・22時15分
・22時32分
・22時45分
・23時5分
・23時14分(土曜急行)
・23時35分
結果はこのようになっており、13時台から30分おきに設定されていました。
興味深いのは23時にも1本だけ設定されていることですが、休日ダイヤは遅い時間の急行が多いことから、通常の平日よりも利用者が多かったのでしょう。
快速急行がない時代、1時間に急行が4本だけだったというのも、近郊区間を重視したダイヤが組まれていた当時ならではでしょうか。
他に準急も走っていますが、各駅停車が中心だったのがこの結果からも見えてきますね。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
土曜日のみ運行する急行を設定し、半ドンの旅客需要をさばいていた小田急。充当された形式が様々だったようなので、そういった面もいつか調べてみたいところです。


コメント
コメント一覧 (10)
ワタシダ
が
しました
また、スマホもネットも全くない状況下で、人々が情報を得ることは容易ではなく、学生は自らの知恵を最大限に働かせ、試行錯誤して情報を獲得する能力や技術を会得していた。
これに比して、今の小田急線に乗っている小学生・中学生・高校生は、週休二日で土曜日は遊んだりゲーム三昧で過ごすことが可能となっている。
また、現代の学生は全く頭を使わずともスマホやネットで何でも簡単に調べることができ、さらにはAIが自分の代わりに考えてくれることが可能となった。
小田急線に土曜急行が走っていた昭和の頃、日本の大学のレベルはアジアでトップであった。
その後、ゆとり教育で小田急線に乗る学生の学力もトコトン落ち、今や我が国の大学のレベルは中国や韓国の大学より下になっているのは残念である。
ワタシダ
が
しました
都心の学校に通っていたころ時々利用してました。
1979~80年当時、昼間の急行は4+4の8両で、どちらかの4両は冷房車でしたが、
土曜急行の場合、ほぼ毎回全車非冷房車で来ました。(昼間の余剰車の活用?)
新宿駅に回送で到着する時いつも「今日は何形で何両かなー」と思いながら待っていました。
同じ発車時刻でも毎週形式や両数が異なっていたと思います。
HE車(2400)が4+4の8両で来ることもありましたが、
4000形が来ることが多く、3+3の6両、5+5の10両で来たこともありました。
一般的には、どうしても早く帰りたい時に(定時の冷房車を待たずに)利用するといった具合でしょうか。
私は、4000形が来た時に好んで乗っていましたね。
朝ラッシュ時のノロノロ4000形急行と違い、他の高性能車並みに飛ばします。
特に経堂駅手前のポイント群をリズミカルかつフルスピードで飛ばす4000形急行は楽しかったですね。
4000形のPⅢ台車の軸間距離2300mmは他の高性能車2200mmより長い分リズムが長いですね。
その経堂を過ぎると千歳船橋までの直線を(釣りかけモーターを)カラカラ言わせながら惰行する走りっぷり。
今も鮮明に覚えています。
ワタシダ
が
しました
覚えてる方、いらっしゃいますか?
ワタシダ
が
しました
2600の6連や4000の5連が多く、上りは回送でした。(小田原行きは小田原というか足柄から延々回送で送り込まれていた。)
昭和57年7月改正で、上りも急行で運用されるようになった。
この改正で箱根登山大型6両化された都合で中型車や4000が運用に多く入るようになり、多くの人の記憶にある「土曜急行はボロい車両」はここから始まったと思われる。
私も通学で上り土曜急行に乗っていたが、確かにほとんど急行運用がなくなっていたHEが頻繁に運用に入っていた。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました