高性能車に改造される前、4000形の最低両数は3両編成でした。
小田急の長編成化が進んでいく中で、後年は3両を2本繋いだ6両での運行が基本となり、主に各駅停車を中心としての活躍となります。
4000形の5両化が行われたことで、3両は最終的に9本が残っていましたが、ペアの法則はあったのでしょうか。
これには1800形との併結により発生した脱線事故が関係しており、4000形のみで8両を組むための対応でした。
編成の変更後は、5両編成が13本、3両編成が9本という陣容になり、組み合わせることで8両を組成しています。
しかし、急行の10両化が行われたことで、4000形が8両を組む必要性は薄れてしまい、3両は2本を繋いでの6両で運行されるようになっていきました。

写真提供:小田急指令掛川様
性能は劣るものの、6両という単位は2600形等と同様であり、各駅停車を中心に使われることとなりました。
高性能化に伴う編成変更においても、3両を組み合わせて6両化が行われており、そのまま固定編成化されたような流れとなっています。
小田急には、番号を揃えて繋ぐといった伝統がありますが、4000形については少し違っていたようです。
鍵となるのは、3両編成が9本という奇数だったことでした。
1800形では、余る1編成を予備車としていましたが、4000形は特定の編成に限定していなかったようです。
この予備車を限定していないということが、ペアの法則を分かりにくくしていました。
まず、奇数の編成数であったことから、常時1本は余っており、その編成が予備車となります。
4000形の3両編成を6両にした運用は4つあり、その運用途中で編成替えが適宜行われました。
1日の中で、編成のペアが変わる場合があったということになります。
分かりやすくするために、ある時期のペアを確認してみましょう。
4014F+4015F
4016F+4017F
4020F
4018F+4019F
4021F+4022F
基本的には番号が連続するペアが組まれており、これが法則を分かりにくくしていました。
このペアに変更が発生した後は、以下のようになっています。
4014F+4015F
4016F+4017F
4018F
4019F+4020F
4021F+4022F
番号が連続するように考慮はされていたようですが、例外となるケースもあったようです。
そのあたりの動きは、現代における8000形と似ている部分もあるのかもしれませんね。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
離脱する両数を少なくするという面では、先頭車が多いということをメリットに変えていたようです。
小田急の長編成化が進んでいく中で、後年は3両を2本繋いだ6両での運行が基本となり、主に各駅停車を中心としての活躍となります。
4000形の5両化が行われたことで、3両は最終的に9本が残っていましたが、ペアの法則はあったのでしょうか。
9本が残った4000形の3両編成
古い車両の機器を流用し、3両編成が22本という陣容になった4000形は、1974年から中間車を追加しての5両編成化が行われることとなります。これには1800形との併結により発生した脱線事故が関係しており、4000形のみで8両を組むための対応でした。
編成の変更後は、5両編成が13本、3両編成が9本という陣容になり、組み合わせることで8両を組成しています。
しかし、急行の10両化が行われたことで、4000形が8両を組む必要性は薄れてしまい、3両は2本を繋いでの6両で運行されるようになっていきました。

写真提供:小田急指令掛川様
性能は劣るものの、6両という単位は2600形等と同様であり、各駅停車を中心に使われることとなりました。
高性能化に伴う編成変更においても、3両を組み合わせて6両化が行われており、そのまま固定編成化されたような流れとなっています。
3両を2本繋いだ際のペア
2本を繋いで6両にしていた4000形ですが、ペアはどのようになっていたのでしょうか。小田急には、番号を揃えて繋ぐといった伝統がありますが、4000形については少し違っていたようです。
鍵となるのは、3両編成が9本という奇数だったことでした。
1800形では、余る1編成を予備車としていましたが、4000形は特定の編成に限定していなかったようです。
この予備車を限定していないということが、ペアの法則を分かりにくくしていました。
まず、奇数の編成数であったことから、常時1本は余っており、その編成が予備車となります。
4000形の3両編成を6両にした運用は4つあり、その運用途中で編成替えが適宜行われました。
1日の中で、編成のペアが変わる場合があったということになります。
分かりやすくするために、ある時期のペアを確認してみましょう。
4014F+4015F
4016F+4017F
4020F
4018F+4019F
4021F+4022F
基本的には番号が連続するペアが組まれており、これが法則を分かりにくくしていました。
このペアに変更が発生した後は、以下のようになっています。
4014F+4015F
4016F+4017F
4018F
4019F+4020F
4021F+4022F
番号が連続するように考慮はされていたようですが、例外となるケースもあったようです。
そのあたりの動きは、現代における8000形と似ている部分もあるのかもしれませんね。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
ペアを変更しつつ、常時8本が稼働するようになっていた4000形の3両編成。離脱する両数を少なくするという面では、先頭車が多いということをメリットに変えていたようです。


コメント
コメント一覧 (9)
ワタシダ
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4021F+4016F
例の最初で最後のWN駆動車との併結運転では、
8054F+4020F+4021Fと記録されています。結構流動的だったことが読み取れますが、2200等に比べるとかなり組み替えが多かったように思えるのは、全車電気連結器装備だったからでしょうかね。
ワタシダ
が
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末期の9000形は
9001+9002F~9005+9006Fで半固定編成とし、4連のまま残る編成は9008+9009Fでペアを組み、9007Fが予備車的存在になっていました。
ワタシダ
が
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当時の朝ラッシュはノロノロの平行ダイヤでしたので、
優等列車に追いかけられる各駅停車は高加減速が要求されますが、
急行には高加減速も高速走行も要求されませんでしたので、問題なかったのでしょう。
ワタシダ
が
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というのも、ローマ数字の「Ⅲ」はデジタル文字ではただの縦棒3本ですが、印刷した活字では「皿」という漢字にそっくりなのです。
ディスクブレーキと言えば皿、丸い銀色の皿が売り物ですから、これは狙ったとしか思えない名称でした。
ワタシダ
が
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その後の高性能化にあたってはこの組み合わせで4両と6両に組み替えられ、それぞれ4両8編成と6両10編成に再編されました。他の大型車と異なり、箱根登山線乗り入れが最後まで解禁されなかったためか同一形式で10両を組む機会は年々少なくなり、4両は他形式との併結運転、6両は編成単独での運用がほとんどで、晩年は9000形とともに編成で運用の明暗が分かれたといったところでしょうか。
ワタシダ
が
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