戦後の混乱期に国鉄の63形を割り当てられ、改造を重ねつつ長く活躍した小田急の1800形。
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1801Fは1800形として最も早く小田急に到着した車両を含み、クハ1851がそれにあたります。
クハ1851が先に到着し、追って入線したデハ1801と編成を組むこととなりました。
小田急に入線した車両は、基本的に国鉄の番号を持っていますが、クハ1851にはそれがありません。
実際には想定されていた番号があるものと思われますが、そのあたりの詳細は不明です。
入線当初の63形そのものの姿から、改良によって少しずつ見た目が変化しました。
しかし、戦時設計による粗悪な造りを改良するのには限界があったのか、最終的には台枠を流用して全金属車体に更新されています。
更新によって洗練されたスタイルとなりましたが、切妻の外見はそのままとなっており、小田急の中では異色の存在でした。
1979年に廃車となり、その後は秩父鉄道で800系として活躍しました。
秩父鉄道での廃車後、幸運にも解体されずに利用されてきた経緯があり、現在もデハ1801とクハ851の半分が残っています。
有志による保存活動が行われていますが、通常は非公開です。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
クハ1851:日本車輌製造(東京支店)
クハ1851:なし
クハ1851:1946年10月3日
クハ1851:1979年7月30日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急1800形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1801Fの概要
国鉄の63形をルーツに持ち、小田急では1800形として登場した車両です。1801Fは1800形として最も早く小田急に到着した車両を含み、クハ1851がそれにあたります。
クハ1851が先に到着し、追って入線したデハ1801と編成を組むこととなりました。
小田急に入線した車両は、基本的に国鉄の番号を持っていますが、クハ1851にはそれがありません。
実際には想定されていた番号があるものと思われますが、そのあたりの詳細は不明です。
入線当初の63形そのものの姿から、改良によって少しずつ見た目が変化しました。
しかし、戦時設計による粗悪な造りを改良するのには限界があったのか、最終的には台枠を流用して全金属車体に更新されています。
更新によって洗練されたスタイルとなりましたが、切妻の外見はそのままとなっており、小田急の中では異色の存在でした。
1979年に廃車となり、その後は秩父鉄道で800系として活躍しました。
秩父鉄道での廃車後、幸運にも解体されずに利用されてきた経緯があり、現在もデハ1801とクハ851の半分が残っています。
有志による保存活動が行われていますが、通常は非公開です。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ1801-クハ1851※左側が新宿方
製造所
デハ1801:川崎車輛クハ1851:日本車輌製造(東京支店)
旧番号(日本国有鉄道)
デハ1801:モハ63050クハ1851:なし
運用開始日
デハ1801:1946年10月3日クハ1851:1946年10月3日
廃車日
デハ1801:1979年7月30日クハ1851:1979年7月30日
1801Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (4)
ワタシダ
が
しました
このTR25C装備車は、他にクハ1860、1861がありますが、モハ63形は初期の車輌に戦災車のDT12を付けたものがあり、それが小田急割当車にも含まれていたようです。生方翁は著書の中で、5輌ほどDT12付きのものが残った旨記述されていますが、具体的な車号はわかりません。ただクハ1851と1852は、小田急への入線時DT12を装着していたようで、写真が残されてます。
ワタシダ
が
しました
1800系には側面にLEDどころか種別幕もなく、乗客は常に頭と耳をフル回転させ、間違った電車に乗らないよう知恵を働かせていました。
何でも便利な機械任せになることで、人間が本来持っているはずの忍耐力や生きる力が失われることは、人間の進化でなく退化だとも言えます。
先日亡くなった佐藤愛子氏は、これを「日本人総アホの時代」と呼んでおりました。
ワタシダ
が
しました