一時期はワイドドアの車両を積極的に導入しつつも、標準化の流れで一般的なドア幅に戻った小田急。
戦前から戦後間もない頃に登場した車両は、片開きドアを採用していましたが、1959年以降は両開きドアへと移行していきました。

現代では当たり前となっている小田急の両開きドアについて、その歴史を振り返ってみたいと思います。

片開きから両開きドアの時代へ

昔の鉄道車両といえば、片開きドアであることが当たり前でした。
大量輸送の時代に入っていくと、開閉時間を短くできる両開きドアの採用が増加し、混雑する路線を中心に片開きドアは減少していくこととなります。

小田急における両開きドアの採用は、意外にも通勤型車両からではありません。
準特急という列車種別を設定するにあたり、2220形を2扉のセミクロスシートに変更した2320形が造られ、乗降時間を短縮するために両開きドアが初採用されました。
後に格下げ改造される際には、ABFM車の標準である片開きドアに変更されたため、登場から短期間の姿となっています。

両開きドアを本格的に採用したのは、1960年に運用を開始した2400形で、純粋な通勤型としてはこの車両が元祖といってよいでしょう。
その後に登場する車両は、両開きドアの採用を基本とするようになり、拡幅車体になっても踏襲されています。

2320形で初採用となった両開きドアは、幅を1.3mとした標準的なもので、1000形まで脈々と受け継がれていくこととなりました。
窓の支持方式等には変更がありましたが、基本的なスタイルは変わらずに続いていきます。

多数が導入されたワイドドア車

ラッシュ時の混雑に対して、打つ手がなくなりつつあった1990年代になると、両開きドアの幅に変化が生じます。
当時の最新型である1000形について、ドアの幅を一気に2mまで拡大したワイドドア車が造られ、小田急は幅が広いドアの車両を積極的に導入するようになっていきました。

ワイドドア車をある程度増備した後、通常の1000形に増備は一旦戻りました。
しかし、続いて登場する2000形、3000形の1次車については、ドアを1.6mの幅とした仕様となります。
これは2mのドアが広すぎた反省から生まれたもので、1000形についても開口幅を1.6mに縮小する改造が行われました。

少しだけ幅が広いという状態をしばらく続けたものの、結局は3000形の2次車から1.3mに戻されました。
標準化の流れに沿ったものといえそうですが、小田急のこだわりが見られなくなったタイミングだったようにも思います。

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写真提供:小田急指令掛川

最後に変わり種の両開きドアを紹介して、今回の記事を締めたいと思います。
2320形が登場した頃、1959年から車体の更新を行ったデハ1300形に対し、幅を1.5mとした両開きドアが採用されました。

小田急におけるワイドドア車の元祖のような存在で、小さな車体に幅が広いドアを装備した車両となっています。
後に荷電としてデニ1300形となり、1984年まで活躍することとなりますが、幅が広いドアが重宝された面もあったようです。
他にもデニ1000形が2mの両開きドアだったり、デニ1100形も同様に両開きドアになっていたりと、荷電は面白い存在ばかりでした。



写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。

おわりに

ワイドドア車を造る時期を挟みつつ、一般的な1.3mの幅に戻った小田急の両開きドア。
今後は幅が変わることはないとみられるため、試行錯誤の時代が終わったということなのかもしれませんね。