古い車両の機器を流用し、近代的な車体から吊り掛けモーターの音を響かせていた4000形。
小田急4000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
モーターを古い車両から流用しているのは変わらないものの、最初から電磁直通ブレーキ等を採用しており、2次車以前の編成より近代化が図られています。
1976年度に5両編成化されていますが、その際に追加された中間車は、東急車輛製造で造られました。
制御車から流用してきた台車が足りなくなったため、デハ4213とデハ4313については、新造のTS-818を履いています。
高性能化は1986年度に行われ、4003Fから抜いた中間車を加え、6両編成の4253Fとなりました。
中間車が履いていたTS-818は、他の編成の制御車に流用されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ4113:3次車
デハ4213:8次車
デハ4313:8次車
クハ4063:3次車
デハ4113:日本車輌製造
デハ4213:東急車輛製造
デハ4313:東急車輛製造
クハ4063:日本車輌製造
デハ4113:1968年9月6日
デハ4213:1976年11月1日
デハ4313:1976年11月1日
クハ4063:1968年9月6日
デハ4113:1987年3月3日
デハ4213:1987年3月3日
デハ4313:1987年3月3日
クハ4063:1987年3月3日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急4000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
4013Fの概要
1968年度に竣功した3次車がベースで、4000形では数少ない日本車輌製造で造られた編成です。モーターを古い車両から流用しているのは変わらないものの、最初から電磁直通ブレーキ等を採用しており、2次車以前の編成より近代化が図られています。
1976年度に5両編成化されていますが、その際に追加された中間車は、東急車輛製造で造られました。
制御車から流用してきた台車が足りなくなったため、デハ4213とデハ4313については、新造のTS-818を履いています。
高性能化は1986年度に行われ、4003Fから抜いた中間車を加え、6両編成の4253Fとなりました。
中間車が履いていたTS-818は、他の編成の制御車に流用されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ4013-デハ4113-デハ4213-デハ4313-クハ4063※左側が新宿方
製造区分
デハ4013:3次車デハ4113:3次車
デハ4213:8次車
デハ4313:8次車
クハ4063:3次車
製造所
デハ4013:日本車輌製造デハ4113:日本車輌製造
デハ4213:東急車輛製造
デハ4313:東急車輛製造
クハ4063:日本車輌製造
竣功日
デハ4013:1968年9月6日デハ4113:1968年9月6日
デハ4213:1976年11月1日
デハ4313:1976年11月1日
クハ4063:1968年9月6日
高性能化・改番日
デハ4013:1987年3月3日デハ4113:1987年3月3日
デハ4213:1987年3月3日
デハ4313:1987年3月3日
クハ4063:1987年3月3日
4013Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (5)
ワタシダ
が
しました
というのは、この4013Fに組み込まれたデハ4213とデハ4313には、当時残存していたデニ1002とデニ1101を廃車として、そこから発生したMB146系モーターを流用しているので、荷電が余剰気味だったとしても、なんとなく「唐突な」感じがするのですよね。
脱線事故対応によるデハ4200番台、デハ4300番台新製にあたっては、当初2100は多摩線の専用車にする案があったようなので、ABF車をつぶすとしても、1700と1900をつぶせば4010Fまでは5連に出来たはず…。
そうすると、当時大形吊り掛け車8連による必要運用数は11運用分だったので、4010Fまでが5連化されていれば、それと3連車を連結することによって、1800×8の運用も勘案すれば、一応12運用分は確保出来るのですよね。
中間デハの増備は昭和50年度と51年度に行われましたが、仮に4000の5連化を4010Fまでで止めていれば、残る予算で5000も増備できたでしょうし、2100はまだ車齢が20年程度。小改造で多摩線専用車として活躍できたでしょう。昭和51年に至っても非冷房車を新製するという不合理も、最小限ですんだはず。
ワタシダ
が
しました
2600系、5000系、9000系と比べると雲泥の差ですが、確かに冷房改造後の4000系は何の特徴もない車両になってしまっていました。
ですので、さよなら運転をしようという機運も社内で盛り上がらなかったと思います。
しかし、それならば最後の吊掛駆動車が改造される直前の時期にさよなら運転をして欲しかったという思いも、小田急ファンの中からは湧いてくるところです。
ただし、改造されて新性能になって戻ってくる車両に対してさよなら運転というのも変な話なので、やはりその時点でのさよなら運転はできなかったと思います。
そうだとすると、2600系を引退前に旧塗装に戻してさよなら運転をしたのと同じように、4000系も引退前に非冷房の吊掛モーターに戻せばさよなら運転ができたのではないかとも考えられます。
しかしながら、廃車直前の4000系にそこまでお金を掛ける理由もなく、小田急もそんなに暇ではないと思われ、この案も現実的ではないと言われそうです。
もっとも、そうだとすると、廃車直前の3100系を「ゆめ70」に改造し、すぐ解体してしまった小田急の方針は現実的だったのか、お金の無駄遣いではなかったのか疑問が残るところです。
ワタシダ
が
しました