昭和の終わりに廃車が進められ、中型車の時代に終止符が打たれた小田急。
高性能車でありながら、車体が小柄であったことが災いした車両といえば、2200形等のABFM車と2400形があげられます。
それぞれが別々に組まれていた両形式ですが、ABFM車の廃車が始まった頃に6両編成となった時期がありました。
その際の組み合わせは、どのようなものだったのでしょうか。
最初に廃車となったのは、2200形の2211F、2300形の2301Fと2303Fで、ABFM車の基本編成を崩すこととなりました。
廃車に先立ち、元々は7運用だったABFM車については、1運用が5000形に置き換えられていました。
6両を廃車した後には、編成替えが行われていたABFM車でしたが、さらに2217Fを除いた2200形を多摩線に集める対応が行われます。
この対応には一つ問題があり、2200形を7編成外したことで、ABFM車だけで6運用をまかなうことができなくなりました。
そこで、2400形がピンチヒッターとしてABFM車と組むことになり、中型車の晩年に珍しい組み合わせが見られるという展開が生じます。
それは、この2形式が組む場合において、2400形に56芯ジャンパ連結器が必要だったことです。
ABFM車は、先頭に出る車両以外に電気連結器を設けていなかったため、6両の組み合わせとする場合には、56芯ジャンパ連結器を使用する必要がありました。
しかし、2400形は簡易的な更新に合わせ、56芯ジャンパ連結器を撤去する対応が進められていたのです。
幸いなことに、一部の編成が未更新で残っており、それらをABFM車と組み合わせることになりました。

写真提供:小田急指令掛川様
こうして組まれた2400形とABFM車の6両は、半固定編成扱いで運用されることとなります。
その際に見られた組み合わせは、以下のとおりです。
2325F+2477F
2233F+2499F
2551F+2227F
2225F+2557F
3本は2400形を小田原寄りに、1本は新宿寄りに配置していました。
つまり、記事で使用した写真は2551Fを含む編成ということになります。
編成の位置関係が異なる組み合わせとなったのは、ABFM車の電気連結器がある車両の都合なのでしょう。
あまり長く見られたものではなかったようで、結局ABFM車だけで組んだ6両へと変更されていきました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
抜擢された2400形の編成が、なかなか個性的な面々だったのも興味深いところですね。
高性能車でありながら、車体が小柄であったことが災いした車両といえば、2200形等のABFM車と2400形があげられます。
それぞれが別々に組まれていた両形式ですが、ABFM車の廃車が始まった頃に6両編成となった時期がありました。
その際の組み合わせは、どのようなものだったのでしょうか。
晩年に組まれた2400形とABFM車の6両編成
大型車の割合が年々増加する中で、徐々に肩身が狭くなりつつあった中型車は、1982年から廃車が始まります。最初に廃車となったのは、2200形の2211F、2300形の2301Fと2303Fで、ABFM車の基本編成を崩すこととなりました。
廃車に先立ち、元々は7運用だったABFM車については、1運用が5000形に置き換えられていました。
6両を廃車した後には、編成替えが行われていたABFM車でしたが、さらに2217Fを除いた2200形を多摩線に集める対応が行われます。
この対応には一つ問題があり、2200形を7編成外したことで、ABFM車だけで6運用をまかなうことができなくなりました。
そこで、2400形がピンチヒッターとしてABFM車と組むことになり、中型車の晩年に珍しい組み合わせが見られるという展開が生じます。
編成の組み合わせはどうなっていたのか
2200形を外したことで、晩年に見られるようになった2400形とABFM車の6両ですが、もう一つ問題がありました。それは、この2形式が組む場合において、2400形に56芯ジャンパ連結器が必要だったことです。
ABFM車は、先頭に出る車両以外に電気連結器を設けていなかったため、6両の組み合わせとする場合には、56芯ジャンパ連結器を使用する必要がありました。
しかし、2400形は簡易的な更新に合わせ、56芯ジャンパ連結器を撤去する対応が進められていたのです。
幸いなことに、一部の編成が未更新で残っており、それらをABFM車と組み合わせることになりました。

写真提供:小田急指令掛川様
こうして組まれた2400形とABFM車の6両は、半固定編成扱いで運用されることとなります。
その際に見られた組み合わせは、以下のとおりです。
2325F+2477F
2233F+2499F
2551F+2227F
2225F+2557F
3本は2400形を小田原寄りに、1本は新宿寄りに配置していました。
つまり、記事で使用した写真は2551Fを含む編成ということになります。
編成の位置関係が異なる組み合わせとなったのは、ABFM車の電気連結器がある車両の都合なのでしょう。
あまり長く見られたものではなかったようで、結局ABFM車だけで組んだ6両へと変更されていきました。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
廃車が進められる中で、短期間ながら見ることができた2400形とABFM車による6両。抜擢された2400形の編成が、なかなか個性的な面々だったのも興味深いところですね。


コメント
コメント一覧 (10)
ずっと考えていたのですが、どうにも該当駅が分からなくて・・・
ワタシダ
が
しました
2499Fの所でも書き込みしていますが、最後迄ジャンパー栓を併設していた編成は2477F、2499F、2551F、2555F、2557Fの5本で、トピック本文中には2555F以外の編成が記載されていましたので、誤った情報を提供しなかった事に安堵していますが2555Fだけ2200形と組まなかったのか?と云う疑問が残ります。
もしかしたら予備車的存在にしていたのかもしれませんね。
蛇足ながら、マニアックな情報を。ジャンパー栓取り付け車は2477F以降の編成ですが、この編成から戸閉機が従来の物と変わったらしく、ドアの開閉スピードが速くなり、開閉の際の「ガラガラガラ」と云う音も大きめでした。
ワタシダ
が
しました
1983年2月(カレンダーで確認するとおそらく2月21日)に、私が、高校の合格発表を見に行くために、成城学園前から鶴川まで小田急線を利用した際に、成城学園前から新百合ヶ丘まで乗車した急行が、箱根湯本・片瀬江ノ島行きで、箱根湯本編成の中型6両が、2551F+2227Fでした。珍しい編成が来たので、急いでホームの前方まで行き、先頭の2228に乗車した記憶があります。
また、それより前の1983年1月(おそらく1月2日または3日)に、家族で成城学園前から下北沢まで乗車した各駅停車が、2233F+2499Fまたは2225F+2557Fのどちらか(乗車したのは2400形側)で、この区間の各駅停車に2400形が使われるのは珍しく思い、貴重な経験ができたと感じた記憶もあります。
ワタシダ
が
しました
そんなことを最近よく思ってしまいます。
そんな昔の電車のほうが性能が良かったということはないし、昔は複々線もなく所要時間な長かったです。
過去の電車のことばかり考えていると、今の電車になんの面白みも感じなくなってしまいます…
でも、昔はよかった的に、ふと物思いにふけることは、人間ならば誰しもあります。
やっぱり今が辛かったり、今の生活に幸せを感じないと、そう思うことはあります。
「あの頃の小田急線は楽しかったな」と思うことは、「あの頃の小田急線に乗っていた自分の人生は楽しかったな」と思うことかも知れません。
今、精神的に辛い日々が続いていて、幸せを感じられなければ、「あの頃の小田急線に乗っていた時代に戻りたいな…」と、しょっちゅう思ってしまうのが普通だと思います。
昔の小田急の写真を見たりして、誰にでも昔の思い出にふけることはあると思います。
ワタシダ
が
しました
もともとFM系の2連化は、HEと連結して6連を組むために中間車に運転台を付けたのでしたが、後には「運転台だらけ」の編成に集約されてしまい、せっかくの新設運転台があまり生かされなかったのはもったいないですね(車庫内の移動だけなら簡易運転台ですみますから)。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
2400形は主電動機が4000形に流用されましたし電磁直通ブレーキなので、5000形の場合ジャンパ連結器などの対応で併結実績ができましたし、2代目3000形には読替装置が搭載されたため、システムが180度別物になりながらも併結が可能となりました。
そういえば、初代4000形も2代目3000形との併結実績がありましたね。旧4000形に電制がなかったためブレーキシステムの技術差が激しいですが意外と相性は良かったらしいですね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
普段触る機会がなかった一段下降窓を嬉々として下げてみたらどこぞのおばちゃんに「冷房効いてるんだから窓閉めて!」と怒られたのを覚えてます
今考えると当然ですよね
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました