小田原駅から強羅駅までを結び、日本で最も急な勾配がある粘着式鉄道である箱根登山線。
正式には小田急箱根の鉄道線ですが、箱根登山線や箱根登山電車として一般には知られています。

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1919年に開業した箱根登山線ですが、ルートの決定までには紆余曲折がありました。
大きく分けて三つのルート案を経ていますが、それはどのようなものだったのでしょうか。

長い路線が想定されていた当初案

1911年3月に免許が交付された箱根登山線は、現在と異なるルートでの建設が想定されていました。
開業までに何度かルートが変更され、現在の路線が成立することとなりますが、その変遷を確認していきたいと思います。

現在の箱根湯本駅は早川の左岸にありますが、当初案における起点は右岸が予定されていました。
そのまま須雲川の右岸を沿うように進み、最終的には左岸へと渡って大平台へと至ります。
宮ノ下、二ノ平を経て強羅駅に到達し、総延長は約13kmが予定されていました。

現在よりも長い路線で想定されていたことになりますが、起点の周辺で遠回りをするため、距離が長くなっていたことが分かります。
しかし、免許が交付される前年に発生した大洪水により橋が流出し、既に開業していた軌道線がルートを変更したことで、箱根湯本駅の位置も再検討されることとなりました。

アプト式の想定からスイッチバックへ

大洪水をきっかけとして、ルートが再検討されることになりましたが、そこでは二つの案が比較されることとなります。
駅の位置が変わったことにより、起点は早川の左岸へと変更されました。

一つ目は玉簾の瀧付近を経て大平台へと向かうルート、二つ目は早川の左岸を進んで塔ノ沢付近で流行川を渡るルートで、トンネルが多くなるという面はありましたが、安全性や距離の短さが決め手となり後者が選ばれます。
このルート選定では最急勾配が125‰となり、これをアプト式の採用で実現する想定でした。
しかし、既に開業していた碓氷峠でさえ66.7‰で、社内外で不安の声があがることとなります。

そんな折、既にヨーロッパでは粘着式への移行が進んでいることが分かり、アプト式を採用しない方向へと計画は変更されました。
粘着式で125‰を走行することはできないため、最急勾配を80‰としてスイッチバックを設けることで実現することとなります。

こうして開業に向けてのルートが決まりましたが、建設中には環境への影響を考慮してさらにルートが変更されました。
やや遠回りをすることにはなったものの、1919年に現在のルートで箱根登山線は開業することとなります。

おわりに

免許の交付段階からルート変更の検討を重ね、開業へと至った箱根登山線。
苦肉の策ともいえるスイッチバックでさえ、観光資源として活かされているのかもしれませんね。