古い車両の機器を流用し、近代的な車体から吊り掛けモーターの音を響かせていた4000形。
小田急4000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
他の編成と同じく、古い車両からモーター等を流用しており、近代的な車体から古めかしい音が響く車両となっています。
3次車からは新製された部品や機器の使用割合が高くなり、電磁直通ブレーキが採用されました。
この頃から1800形と繋ぐ構想があったものと考えられ、制動方式を統一する方向になったのでしょう。
1976年度に新製の中間車を組み込んで5両編成化され、クハ4061は台車をTS-814に交換しました。
制御車が編成内で1両しかなく、番号が変則的にならないためか、5両編成になっても番号は変わっていません。
1987年度に高性能化が行われ、6両編成の4260Fとなりました。
6両編成化にあたっては、4008Fのデハ4108を組み込んでいます。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ4111:3次車
デハ4211:8次車
デハ4311:8次車
クハ4061:3次車
デハ4111:東急車輛製造
デハ4211:東急車輛製造
デハ4311:東急車輛製造
クハ4061:東急車輛製造
デハ4111:1968年7月14日
デハ4211:1976年10月12日
デハ4311:1976年10月12日
クハ4061:1968年7月14日
デハ4111:1988年2月9日
デハ4211:1988年2月9日
デハ4311:1988年2月9日
クハ4061:1988年2月9日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急4000形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
4011Fの概要
4000形の3次車として1968年度に竣功し、元々は3両編成で造られました。他の編成と同じく、古い車両からモーター等を流用しており、近代的な車体から古めかしい音が響く車両となっています。
3次車からは新製された部品や機器の使用割合が高くなり、電磁直通ブレーキが採用されました。
この頃から1800形と繋ぐ構想があったものと考えられ、制動方式を統一する方向になったのでしょう。
1976年度に新製の中間車を組み込んで5両編成化され、クハ4061は台車をTS-814に交換しました。
制御車が編成内で1両しかなく、番号が変則的にならないためか、5両編成になっても番号は変わっていません。
1987年度に高性能化が行われ、6両編成の4260Fとなりました。
6両編成化にあたっては、4008Fのデハ4108を組み込んでいます。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ4011-デハ4111-デハ4211-デハ4311-クハ4061※左側が新宿方
製造区分
デハ4011:3次車デハ4111:3次車
デハ4211:8次車
デハ4311:8次車
クハ4061:3次車
製造所
デハ4011:東急車輛製造デハ4111:東急車輛製造
デハ4211:東急車輛製造
デハ4311:東急車輛製造
クハ4061:東急車輛製造
竣功日
デハ4011:1968年7月14日デハ4111:1968年7月14日
デハ4211:1976年10月12日
デハ4311:1976年10月12日
クハ4061:1968年7月14日
高性能化・改番日
デハ4011:1988年2月9日デハ4111:1988年2月9日
デハ4211:1988年2月9日
デハ4311:1988年2月9日
クハ4061:1988年2月9日
4011Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (10)
ギヤー鳴りの音が他の4000形よりも遥かに大きく、この編成が来ると大喜びしたものです。
HE車の廃車により4000形に主電動機を転用する噂が出始めた1984年に、夜間21~22時台に設定されていた新宿発小田原・江ノ島行(大野で5両ずつに分割)の音を大野~小田原で録音しようと訪れたところ、運用を調べて狙った訳ではないのに小田原編成に4011Fが充当されており、4111の高速走行音を録音出来ました。
特に大野~海老名での飛ばし方は尋常ではなく、この時の音は今でも宝物として保存しております。
ワタシダ
が
しました
この編成か不明ですが、新性能化された4000形に緑色で快速幕が入っていたかと。
90年代前半に相模大野で入れ替え時にホームに入って来た時、新宿方先頭車両前面に、回送と快速両方表示した状態を何度か目撃し、写真も撮りました。
小田急線で快速は快速準急しか思い当たらず、アレは何だったのか気になります。
ワタシダ
が
しました
あの当時で首都圏にて吊り掛け駆動は珍しかった。東武カステラは末端区間除いて吊り掛け駆動は撤退した時期だったかと。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
60年代後半のATS整備が関係しています。
旧来の方式(AMMR-L)だとATSに対応できないので、
高性能車と同じHSCを採用し、初期の車両もHSCに改造されました。
ワタシダ
が
しました