1954年に小田急初の高性能車として登場し、特徴的な2枚窓からネコと呼ばれて親しまれた2200形。
小田急2200形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
1次車に続き、この2次車までが半鋼製車となっており、窓枠等には木材が多用されています。
仕様変更が発生した点としては、前面のワイパーを取り付ける位置や、前面窓上に手すりがあるといった部分で、後に1次車へも波及しました。
断続的に各所の改良が行われており、窓枠のアルミサッシ化やプレスドアへの交換、方向幕の取り付け等が進められ、最終的には他編成と仕様が合わせられていきます。
多摩線内での運用を想定してか、両先頭車に列車無線が取り付けられましたが、電気連結器については未装備で、晩年は2300形に挟まれた6両編成での運行が基本となりました。
引退間際には再び多摩線での運用に戻り、他の2200形と組んで使われています。
2両編成で柔軟性が高かったこともあり、時期に合わせて使い方を変えつつ活躍しました。
1983年に廃車となりますが、地方私鉄等への譲渡は行われず、解体されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
※左側が新宿方
デハ2210:2次車
デハ2210:日本車輌製造
デハ2210:1956年3月
デハ2210:1983年7月31日

写真提供:小田急指令掛川様
小田急2200形全編成ガイドでは、各編成ごとの特徴やデータをまとめています。
2209Fの概要
1956年に竣功した2次車で、1次車の登場から2300形の増備を挟み、約2年ほどが経過してから造られました。1次車に続き、この2次車までが半鋼製車となっており、窓枠等には木材が多用されています。
仕様変更が発生した点としては、前面のワイパーを取り付ける位置や、前面窓上に手すりがあるといった部分で、後に1次車へも波及しました。
断続的に各所の改良が行われており、窓枠のアルミサッシ化やプレスドアへの交換、方向幕の取り付け等が進められ、最終的には他編成と仕様が合わせられていきます。
多摩線内での運用を想定してか、両先頭車に列車無線が取り付けられましたが、電気連結器については未装備で、晩年は2300形に挟まれた6両編成での運行が基本となりました。
引退間際には再び多摩線での運用に戻り、他の2200形と組んで使われています。
2両編成で柔軟性が高かったこともあり、時期に合わせて使い方を変えつつ活躍しました。
1983年に廃車となりますが、地方私鉄等への譲渡は行われず、解体されています。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
編成表
デハ2209-デハ2210※左側が新宿方
製造区分
デハ2209:2次車デハ2210:2次車
製造所
デハ2209:日本車輌製造デハ2210:日本車輌製造
竣功日
デハ2209:1956年3月デハ2210:1956年3月
廃車日
デハ2209:1983年7月31日デハ2210:1983年7月31日
2209Fの写真

写真提供:小田急指令掛川様


コメント
コメント一覧 (2)
形の廃車後に、写真のような運用があったのですね。
写真のヘッドマークにあるガーデンシティ多摩’83は、私の記憶を元に改めて調べてみると、1983年4月30日(土)から5月5日(木・祝)まで、多摩センター駅南側の歩行車道を中心に開催されたイベントでした。当時私は高校1年で、多摩センター駅南側の豊ヶ丘団地に家族で住んでいて、電車通学はしていませんでしたが、時々小田急多摩線に乗車する機会がありました。ちょうど5月5日には、大蔵に住んでいた時の中学のクラス会に出席するため、多摩線にも乗車しましたが、2200形が使用されていたかどうかは印象に残っていませんでした。
なお、この写真の時点で、現在も現役の8252F・8253Fは既に登場していたはずなので、両編成の在籍期間の長さを改めて感じます。
ワタシダ
が
しました
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