複々線化に合わせて地下化され、現在はホームドアの設置に向けた準備が進められる小田急の成城学園前駅。
ホームドアは2027年度に使用を開始する予定で、駅の風景が少し変わることとなります。
そんな成城学園前駅ですが、これまでに構造が大きく変わってきた駅でもありました。
今日までの変化について、振り返ってみたいと思います。
駅自体は誘致によって設置され、駅名にもなっている成城学園が予め移転することで、実現に至っています。
開業当時の成城学園前駅は、駅舎が地上に設けられていました。
現在も向ヶ丘遊園駅に残るような、ギャンブレル屋根ではありませんでしたが、比較的立派な駅舎だったようです。
待避線は開業時からあったようで、2面4線の配線は最初からだったものと思われます。
駅舎は上り線側にあり、構内踏切でホームと結ばれていました。
比較的立派な駅舎を備えた成城学園前駅ですが、意外なほど早く戦前の段階で橋上駅舎化が行われています。
それは1935年2月のことで、小田急で最初の橋上駅舎となりました。
学生の利用が多いといった理由で、安全面を考慮してのことだったのでしょうか。
写真等を見る限りではありますが、戦前の段階であの規模だったとも考えにくいため、橋上駅舎の大規模な改良という、珍しいケースが発生した可能性が高いでしょう。
時代が昭和から平成に移ると、成城学園前には複々線化という大きな変化が生じていきます。
高架化を基本として工事は進んできましたが、成城学園前駅付近は掘り下げられることとなり、1995年3月には1番ホームの使用が停止されました。
使わなくなった線路の下で工事が進められ、駅が下へと移っていくこととなります。

2002年以降、段階的に線路が切り替えられ、成城学園前駅は地下へと線路を移しました。
掘り下げた場所に蓋をしたような構造ですが、利用者の目線では地下駅と表現してよいでしょう。
橋上駅舎については解体され、長い年月を経て再び地上に改札口が設けられています。
このような変化をしている駅は多くなく、小田急の中では異色の存在といえそうです。
戦前の段階で橋上駅舎化されたことも驚きで、利用者にどのように受け止められていたのかも気になるところです。
ホームドアは2027年度に使用を開始する予定で、駅の風景が少し変わることとなります。
そんな成城学園前駅ですが、これまでに構造が大きく変わってきた駅でもありました。
今日までの変化について、振り返ってみたいと思います。
地上から橋上駅舎へ
小田急が開通した1927年4月1日、成城学園前駅も同時に産声をあげました。駅自体は誘致によって設置され、駅名にもなっている成城学園が予め移転することで、実現に至っています。
開業当時の成城学園前駅は、駅舎が地上に設けられていました。
現在も向ヶ丘遊園駅に残るような、ギャンブレル屋根ではありませんでしたが、比較的立派な駅舎だったようです。
待避線は開業時からあったようで、2面4線の配線は最初からだったものと思われます。
駅舎は上り線側にあり、構内踏切でホームと結ばれていました。
比較的立派な駅舎を備えた成城学園前駅ですが、意外なほど早く戦前の段階で橋上駅舎化が行われています。
それは1935年2月のことで、小田急で最初の橋上駅舎となりました。
学生の利用が多いといった理由で、安全面を考慮してのことだったのでしょうか。
下に移っていく成城学園前駅
早々に橋上駅舎となった成城学園前駅ですが、おそらくどこかのタイミングで大規模な改修が行われたものと思われます。写真等を見る限りではありますが、戦前の段階であの規模だったとも考えにくいため、橋上駅舎の大規模な改良という、珍しいケースが発生した可能性が高いでしょう。
時代が昭和から平成に移ると、成城学園前には複々線化という大きな変化が生じていきます。
高架化を基本として工事は進んできましたが、成城学園前駅付近は掘り下げられることとなり、1995年3月には1番ホームの使用が停止されました。
使わなくなった線路の下で工事が進められ、駅が下へと移っていくこととなります。

2002年以降、段階的に線路が切り替えられ、成城学園前駅は地下へと線路を移しました。
掘り下げた場所に蓋をしたような構造ですが、利用者の目線では地下駅と表現してよいでしょう。
橋上駅舎については解体され、長い年月を経て再び地上に改札口が設けられています。
このような変化をしている駅は多くなく、小田急の中では異色の存在といえそうです。
おわりに
上へ下へと移り変わり、最終的には地下駅となった成城学園前駅。戦前の段階で橋上駅舎化されたことも驚きで、利用者にどのように受け止められていたのかも気になるところです。


コメント
コメント一覧 (11)
ワタシダ
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経堂ジョイフルが閉鎖になってから、前の駐車場を掘っていたら、四角い頑丈なコンクリート構造物が「出土」し、対応を検討しているような様子がうかがえました。
ワタシダ
が
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地上地代、ホームの新宿寄りのすぐ前が踏切でした。
上り急行の発車の後、すぐに各停が発車するので日中でも結構開かずの踏切でした。
下りの急行が減速しながらホームに入る時のポイントの通過音が懐かしいです。
また、ポイントが踏切の新宿側になるので踏切自体が長いうえ、
地形の関係で道路の勾配の底の部分が踏切なので、自転車などでは結構渡りにくい踏切でした。
余談ですが、あの近辺で結構ドラマのロケをしていましたので
この踏切も結構写っていたはずです。
ワタシダ
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ワタシダ
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ワタシダ
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当時工事中のホームから上へ上がる階段下に頭をぶつけて駅で手当てをしてもらったのを覚えています。
それからもホーム面の改修など細かな工事は何度もあったかと。
ワタシダ
が
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ワタシダ
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