昔は急行の分割併合が盛んに行われ、1日を通して賑やかだった小田急の相模大野駅。
現在も特急が分割併合を行うシーンを見ることができますが、昔に比べれば限られた本数となっています。

そんな相模大野駅ですが、元々は江ノ島線から4番ホームに入ることができませんでした。
配線が改良される前の時代に、上り列車の連結はどのように行われていたのでしょうか。
小田原線が3番ホームに、江ノ島線が4番ホームに繋がるのは今と同様ですが、江ノ島線から3番ホームに入れるポイントはなく、連結は専ら4番ホームで行われることとなります。
柔軟性に欠ける配線だった相模大野駅ですが、さらに時間をさかのぼると、小田原線から4番ホームに入ることさえできませんでした。
元々が信号所だった名残なのか、あまり機能的な配線ではなかったことになります。
ホームが千鳥配置だったような時期もあり、現在に至るまで変化の多い駅といえるでしょう。
小田原方にポイントがなかったため、相模大野駅では待避をすることもできませんでした。
しかし、町田駅に待避設備があったため、それほど不都合はなかったのかもしれません。
江ノ島線の列車を先に入線させ、小田原線の列車を後ろに繋ぐのがお決まりのパターンでしたが、同一のホームに入線させられない時代は、そう単純にはいかなかったのです。
小田原方にポイントがなかった時代は、4番ホームに江ノ島線から来た列車が入り、一度本線上を町田方面に進みました。
その後、向きを変えて3番ホームへと戻ることで、小田原線から来た列車と連結するという運用です。
あまりにも面倒な連結の仕方ですが、列車密度が多くない時代においては、そこまで問題はなかったということなのでしょう。
編成も短かったため、乗務員の行き来もすぐに終わったものと思われます。
列車の本数が増加してくると、さすがにこのような運用は厳しくなったのか、小田原線から4番ホームに入れるように配線が改良され、本線上での折り返しは解消されました。
現代からすれば非効率なのかもしれませんが、当時においては効率がよかった面もあるのかもしれませんね。
現在も特急が分割併合を行うシーンを見ることができますが、昔に比べれば限られた本数となっています。

そんな相模大野駅ですが、元々は江ノ島線から4番ホームに入ることができませんでした。
配線が改良される前の時代に、上り列車の連結はどのように行われていたのでしょうか。
ポイントがなかった上り線の小田原方
改良工事で2面6線化され、通過線を備える駅となった相模大野駅ですが、それ以前は2面4線の配線でした。小田原線が3番ホームに、江ノ島線が4番ホームに繋がるのは今と同様ですが、江ノ島線から3番ホームに入れるポイントはなく、連結は専ら4番ホームで行われることとなります。
柔軟性に欠ける配線だった相模大野駅ですが、さらに時間をさかのぼると、小田原線から4番ホームに入ることさえできませんでした。
元々が信号所だった名残なのか、あまり機能的な配線ではなかったことになります。
ホームが千鳥配置だったような時期もあり、現在に至るまで変化の多い駅といえるでしょう。
小田原方にポイントがなかったため、相模大野駅では待避をすることもできませんでした。
しかし、町田駅に待避設備があったため、それほど不都合はなかったのかもしれません。
面倒だった上り列車の連結
待避ができないことに加え、列車の連結という面でも当時の配線は制約がありました。江ノ島線の列車を先に入線させ、小田原線の列車を後ろに繋ぐのがお決まりのパターンでしたが、同一のホームに入線させられない時代は、そう単純にはいかなかったのです。
小田原方にポイントがなかった時代は、4番ホームに江ノ島線から来た列車が入り、一度本線上を町田方面に進みました。
その後、向きを変えて3番ホームへと戻ることで、小田原線から来た列車と連結するという運用です。
あまりにも面倒な連結の仕方ですが、列車密度が多くない時代においては、そこまで問題はなかったということなのでしょう。
編成も短かったため、乗務員の行き来もすぐに終わったものと思われます。
列車の本数が増加してくると、さすがにこのような運用は厳しくなったのか、小田原線から4番ホームに入れるように配線が改良され、本線上での折り返しは解消されました。
おわりに
列車密度が低い時代とはいえ、やや面倒な運用で連結を行っていた相模大野駅。現代からすれば非効率なのかもしれませんが、当時においては効率がよかった面もあるのかもしれませんね。


コメント
コメント一覧 (14)
私が乗った本厚木方面から3番ホームに進入した上り電車は、客扱いの後で新原町田方面へ進み、そこからバックして4番ホームに戻って江ノ島線の電車と連結し、新宿方面へ走って行きました。
皆さんの記事とは逆で小田原線の電車が転線しているのですが、臨時的なことだったのでしょうか。
記憶は、この一回だけです。
ワタシダ
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ただ、構内配線改良の歴史の具体的な年月を記していただけたら、もっと実感的に読む事ができて、より良かったと思います。その点がやや消化不良気味で残念です。
ワタシダ
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小田原線の列車が海老名で分割併合を行うようになってからは江ノ島線の列車のみが相模大野で分割併合を行いましたが、やはり1・4番ホームでしか分割併合ができなかったのでしょう。
かなり昔の相模大野は外側線から江ノ島線、内側線から小田原線にしか入線できない構造でしたが、現在も通過線から江ノ島線への入線ができないなど、当時の面影が僅かながら垣間見えますね(そんな相模大野の姿を見ると、同じく入線できる線路に制約があった地下化前の調布(偶数番線から相模原線への入線ができない)を彷彿とさせます)。
ワタシダ
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