最終的に全ての編成が2両となり、先頭車ばかりの陣容となった小田急のABFM車。
小回りが利く車両でしたが、実際には同系列で4両や6両を組むことが多く、晩年になるほどその傾向は強くなりました。
ABFM車には、元々の中間車を先頭車化した車両がありましたが、実際にはあまり使われていません。
わざわざ先頭車化をしながらも、なぜあまり使われなかったのでしょうか。
これらの車両は、元々の先頭車と似た姿ではあったものの、2400形に合わせたスタイルとなっていたため、やや印象が異なるのが特徴でした。
1960年に4両編成の2400形がデビューして以降、小田急は輸送力増強に伴う大量増備を余儀なくされ、在籍車両数は増加の一途を辿りました。
2400形が増えてくると、6両編成を組むための2両編成が不足してきたため、1962年以降に2220形は2両編成化が行われることとなります。

写真提供:小田急指令掛川様
同じ時期には、準特急の廃止により2300形と2320形の格下げ改造も行われ、同時に2両編成化されることとなりました。
こうして、合計14両の中間車が先頭車へと変わり、ABFM車は同一グループとして扱われる2両編成となります。
当初は2400形と組んで6両編成となり、増設運転台を活用する機会もありましたが、やがて先頭に立つ機会は激減することとなります。
一つの転機となったのは、1964年から始まった急行の8両編成化でした。
分割併合の絡みもあり、小田急は4両編成を中心とした車両の構成に変化し、ABFM車は同系列で4両や6両を組むように変わっていきます。
余る2両編成を有効活用するためか、1966年には2200形と2600形を併結する試験が行われました。
しかし、営業運転での実施は見送られており、2両という単位での活用機会は少なくなっていきます。
増設運転台にとっての悲劇は、その後に生じた技術の発展で決定的となりました。
列車無線等の使用を開始するにあたり、全ての先頭車への設置は行われず、先頭に立つ可能性がある車両のみとされます。
設置が見送られた先頭車は、増設運転台ばかりとなったことから、試運転時等を除いてほぼ先頭に立つことがなくなりました。
多摩線が開業して間もない頃、ABFM車が2両編成で使われていた時期がありますが、2200形が主に使用されています。
前面に貫通扉がなかったことから、中間に挟みたくないといった事情があったのか、極力多摩線に集めるようにしていたのでしょうね。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
新塗装になって以降は、ほとんど先頭車の写真が残っていないのは、そのような事情があったためでした。
小回りが利く車両でしたが、実際には同系列で4両や6両を組むことが多く、晩年になるほどその傾向は強くなりました。
ABFM車には、元々の中間車を先頭車化した車両がありましたが、実際にはあまり使われていません。
わざわざ先頭車化をしながらも、なぜあまり使われなかったのでしょうか。
ABFM車に存在した先頭車化改造車
4形式をまとめたABFM車ですが、2220形、2300形、2320形には、中間車から先頭車に改造された車両が含まれていました。これらの車両は、元々の先頭車と似た姿ではあったものの、2400形に合わせたスタイルとなっていたため、やや印象が異なるのが特徴でした。
1960年に4両編成の2400形がデビューして以降、小田急は輸送力増強に伴う大量増備を余儀なくされ、在籍車両数は増加の一途を辿りました。
2400形が増えてくると、6両編成を組むための2両編成が不足してきたため、1962年以降に2220形は2両編成化が行われることとなります。

写真提供:小田急指令掛川様
同じ時期には、準特急の廃止により2300形と2320形の格下げ改造も行われ、同時に2両編成化されることとなりました。
こうして、合計14両の中間車が先頭車へと変わり、ABFM車は同一グループとして扱われる2両編成となります。
使う機会が少なかった増設運転台
先頭車ばかりとなったABFM車ですが、改造によって生まれた先頭車が先頭に立った期間は、意外と短いものでした。当初は2400形と組んで6両編成となり、増設運転台を活用する機会もありましたが、やがて先頭に立つ機会は激減することとなります。
一つの転機となったのは、1964年から始まった急行の8両編成化でした。
分割併合の絡みもあり、小田急は4両編成を中心とした車両の構成に変化し、ABFM車は同系列で4両や6両を組むように変わっていきます。
余る2両編成を有効活用するためか、1966年には2200形と2600形を併結する試験が行われました。
しかし、営業運転での実施は見送られており、2両という単位での活用機会は少なくなっていきます。
増設運転台にとっての悲劇は、その後に生じた技術の発展で決定的となりました。
列車無線等の使用を開始するにあたり、全ての先頭車への設置は行われず、先頭に立つ可能性がある車両のみとされます。
設置が見送られた先頭車は、増設運転台ばかりとなったことから、試運転時等を除いてほぼ先頭に立つことがなくなりました。
多摩線が開業して間もない頃、ABFM車が2両編成で使われていた時期がありますが、2200形が主に使用されています。
前面に貫通扉がなかったことから、中間に挟みたくないといった事情があったのか、極力多摩線に集めるようにしていたのでしょうね。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
わざわざ先頭車に改造したものの、あまり使われる機会がなかった増設運転台。新塗装になって以降は、ほとんど先頭車の写真が残っていないのは、そのような事情があったためでした。


コメント
コメント一覧 (5)
湘南スタイル時代の2301は方転して2302に改番されていますから。
増設運転台で電気連結器装備も2301だけです。
私にとってABFM系の中でも2300形は特別な存在で、たまに乗車出来る機会があると、飛び上がる程に嬉しかった想い出が蘇ります。
ワタシダ
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ワタシダ
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もし実現していたら、4000+1800のような、異形式名コンビになっていたでしょう。見たかったな…
ワタシダ
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2220形が新潟交通に譲渡されたのはこの縁があったと考えるのは、考え過ぎでしょうか。
ワタシダ
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ちなみに開業当初の多摩線が18m車メインやったとのことで、2両編成かつ使用する機会のない運転台を有効活用するならこちらで運用することもあり得なくはなかったのかもしれませんね。
ワタシダ
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