片側3扉の2両編成という共通点を持ち、出自の異なる4形式を総称した小田急のABFM車。
2200形、2220形、2300形、2320形から成り立っていましたが、同一形式内でも数々の個体差があり、趣味的にはとにかく面白い車両でした。
これらの各車両を繋いで使われたABFM車ですが、5編成を併結したブツ10と呼ばれる組成も見ることができました。
比較的珍しかったブツ10は、どのような条件で組まれたのでしょうか。
小田急の長編成化が進んだことで、増結用という役割が失われてしまい、ABFM車を複数繋いで半固定編成として使用するようになったためです。
2両編成がベースとなるABFM車は、組成パターンが豊富という特徴があり、4両、6両、8両、10両に対応することができました。
長編成になるほど、他形式と組むことが基本になっていましたが、ABFM車だけの10両編成も存在し、このような組成はブツ10と呼ばれることとなります。

写真提供:小田急指令掛川様
ブツ10の「ブツ」は、ぶつ切りに由来するといわれており、不揃いの先頭車ばかりで組まれることから、そのように呼ばれるようになったようです。
ABFM車の場合には、3編成を繋いだブツ6が有名で、日常的に見ることができました。
ブツ6にしろ、ブツ10にしろ、同一形式だけで組まれるケースは多くありません。
中間に2200形を挟んだブツ6はあまりにも有名ですが、それ以外も複数の形式が組み合わさることがほとんどでした。
ブツ10が成立するには、複数の条件が満たされる必要があったため、毎日走るようなものではなかったためです。
まず、ブツ10が物理的に可能となったのは、1977年に急行の10両運転が開始されて以降のことです。
ABFM車は1982年から廃車が開始され、1984年には全廃となっているため、そもそも約7年間しか走ること自体ができませんでした。
全線で10両が走れなかった当時の小田急では、途中駅での分割併合が盛んに行われていました。
ブツ10についても、半固定的に4両と6両に組まれたABFM車が併結し、10両編成が成立している状態で、運用上は4両と6両が繋がっている扱いだったことになります。
このような運用であれば、比較的簡単にブツ10となりそうなものですが、そう単純ではありませんでした。
時期によって違いはあるものの、1977年以降で見た場合のABFM車は、6両を組むことが多くなっていました。
余った編成を中心に、4両を組むこと自体はありましたが、検査等で離脱する編成の埋め合わせに使われるケースも多く、6両しか走っていないタイミングも多かったようです。
4両で組まれたABFM車は、2400形の運用で走ることが基本だったようですが、それがABFM車の6両と組む運用に入ると、ブツ10が成立することとなります。
しかし、多摩線内を走る運用に入るといったように、併結しない列車に充当されることも多く、そう簡単に成立するものではありませんでした。
そもそも8両の急行さえ残っている時代であり、容易には成立しなかったのです。
廃車が開始されて以降は、半固定編成のパターンが変化しつつ使われたため、それ以前よりブツ10が走る機会は増加しました。
増えたとはいえ、半固定の4両が複数走っていたわけではないため、全体で見て珍しいことに変わりはありませんでした。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
現代の小田急では考えられないような組成ですが、長編成化の過程で生まれた必要悪だったということなのでしょうね。
2200形、2220形、2300形、2320形から成り立っていましたが、同一形式内でも数々の個体差があり、趣味的にはとにかく面白い車両でした。
これらの各車両を繋いで使われたABFM車ですが、5編成を併結したブツ10と呼ばれる組成も見ることができました。
比較的珍しかったブツ10は、どのような条件で組まれたのでしょうか。
先頭車ばかりの10両編成
ABFM車の編成単位は2両ながら、その機動力を活かした組成は徐々になくなっていきました。小田急の長編成化が進んだことで、増結用という役割が失われてしまい、ABFM車を複数繋いで半固定編成として使用するようになったためです。
2両編成がベースとなるABFM車は、組成パターンが豊富という特徴があり、4両、6両、8両、10両に対応することができました。
長編成になるほど、他形式と組むことが基本になっていましたが、ABFM車だけの10両編成も存在し、このような組成はブツ10と呼ばれることとなります。

写真提供:小田急指令掛川様
ブツ10の「ブツ」は、ぶつ切りに由来するといわれており、不揃いの先頭車ばかりで組まれることから、そのように呼ばれるようになったようです。
ABFM車の場合には、3編成を繋いだブツ6が有名で、日常的に見ることができました。
ブツ6にしろ、ブツ10にしろ、同一形式だけで組まれるケースは多くありません。
中間に2200形を挟んだブツ6はあまりにも有名ですが、それ以外も複数の形式が組み合わさることがほとんどでした。
ABFM車だけのブツ10が成立する条件
乗務員の間では、どこで切り離せばよいか分からずに困ったというような、都市伝説のような思い出話を耳にするブツ10ですが、ABFM車の組成では珍しいパターンでした。ブツ10が成立するには、複数の条件が満たされる必要があったため、毎日走るようなものではなかったためです。
まず、ブツ10が物理的に可能となったのは、1977年に急行の10両運転が開始されて以降のことです。
ABFM車は1982年から廃車が開始され、1984年には全廃となっているため、そもそも約7年間しか走ること自体ができませんでした。
全線で10両が走れなかった当時の小田急では、途中駅での分割併合が盛んに行われていました。
ブツ10についても、半固定的に4両と6両に組まれたABFM車が併結し、10両編成が成立している状態で、運用上は4両と6両が繋がっている扱いだったことになります。
このような運用であれば、比較的簡単にブツ10となりそうなものですが、そう単純ではありませんでした。
時期によって違いはあるものの、1977年以降で見た場合のABFM車は、6両を組むことが多くなっていました。
余った編成を中心に、4両を組むこと自体はありましたが、検査等で離脱する編成の埋め合わせに使われるケースも多く、6両しか走っていないタイミングも多かったようです。
4両で組まれたABFM車は、2400形の運用で走ることが基本だったようですが、それがABFM車の6両と組む運用に入ると、ブツ10が成立することとなります。
しかし、多摩線内を走る運用に入るといったように、併結しない列車に充当されることも多く、そう簡単に成立するものではありませんでした。
そもそも8両の急行さえ残っている時代であり、容易には成立しなかったのです。
廃車が開始されて以降は、半固定編成のパターンが変化しつつ使われたため、それ以前よりブツ10が走る機会は増加しました。
増えたとはいえ、半固定の4両が複数走っていたわけではないため、全体で見て珍しいことに変わりはありませんでした。
写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。
おわりに
先頭車だけの10両編成で、さらに全車両が電動車だったABFM車のブツ10。現代の小田急では考えられないような組成ですが、長編成化の過程で生まれた必要悪だったということなのでしょうね。


コメント
コメント一覧 (13)
気にはしなかったですが、9000形とかと比べると、古くてエアコンもなかったので好きではない車でした。
乗っているだけで卑屈になるような。
2220形に乗って連結面越しの2枚窓のネコ顔を眺めていたのが記憶に残ってます。
新松田から渋沢にかけての上り坂では、WNなのにツリカケかと思うような
苦しそうなうなり音を立てて走ってました。
ワタシダ
が
しました
そもそも10連の場合は新宿方4両+小田原方6両という組成が殆どだったのに、この組成では新宿方が6両固定と推察します。
そして、小田原方の4両は2215F+2217Fでは?
電気連結器装備車を先頭に出す組み合わせだと、上記の組成が最も可能性が高いと思います。
更にはドア硝子のサイズから、新宿方から2両ずつ、2221F+2201F+2223F+2215F+2217Fという組成でほぼ間違いないと推察したのですが、如何なものでしょうか?
ワタシダ
が
しました
性能的には75kwモーター車によるオールM編成なので、さぞや高加速+高速が出たでしょうね。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
今のの1000形4+4が7 8 9 10+ 7 8 9 10みたいに。
ワタシダ
が
しました
中間に運転席がある分 客室が少なく混雑するので、敬遠したこともありました。
しかし、6両+4両さえ減少してきた今となっては、もう一度見たい乗りたい懐かしい気持ちです。
ワタシダ
が
しました
ワタシダ
が
しました
中型車による10両運用は過渡期の小田急ならではとも言える光景でしたが、2200形グループが10両運用に就いたのは珍しいケースであり、2400形+ブツ6や2400形2編成+2200形グループの組み合わせとかも見られたりしたそうで、それはそれで面白い組み合わせやったかと思います。
ワタシダ
が
しました
ABFM3重蓮+9000形もあったみたいですね
ワタシダ
が
しました