現在は線内の往復運用に変化し、小田原駅から箱根湯本駅間でワンマン運転が行われている箱根登山線。
小田原線の延長区間のようになっており、小田急の車両を使用して各駅停車と特急が走っています。

そんな箱根登山線ですが、かつては急行が小田急と直通運転を行っていました。
1982年までは大型車が入線できず、2400形の独壇場となっていましたが、なぜそうなったのでしょうか。

2400形で運行された湯本急行

改良工事の完了によって、箱根登山線に大型車の6両編成が走れるようになったのは、1982年7月12日のダイヤ改正からでした。
この対応により、やむを得ず中型車の4両編成で運行されていた状態は解消し、大幅な輸送力増強が図られています。

大型化が行われる前は、中型車の4両編成で運行された湯本急行ですが、実質的には2400形での運行に固定されている状態でした。
当時の急行は相模大野駅で分割併合を行い、小田原寄りに繋がる4両が箱根登山線に乗り入れましたが、箱根湯本行きは2400形の定位置だったことになります。

20260808_06
写真提供:小田急指令掛川様

当然のことながら、箱根登山線に乗り入れる急行は収容力に課題を抱え、常に混雑していました。
1両を除いては必ず非冷房車となるため、夏はさらに歓迎されない存在となり、サービス面でも早く解消したい状態でした。

車両の大型化により、輸送力は大幅な改善が図られ、冷房車での運行も当たり前となります。
シンプルな対応ながら、改善による効果は絶大だったといえるでしょう。

2400形に集約された必然性

最終的には2400形の独壇場となった湯本急行ですが、それ以外の車両が乗り入れていた時期もありました。
直通運転が始まった頃は、ABF車での乗り入れが行われていたほか、2200形等のABFM車も使用されています。
車両の引退という事情はありますが、まだ現役という時期でも2400形に集約されており、どういった事情があったのでしょうか。

まず、ABF車のような古い車両は、電気制動を装備していなかったため、2200形以降のほうが適任だったという事情がありそうです。
本数自体も多くはなく、高性能車との併結もできなかったため、急行での運用機会自体が減っていきました。

ABF車が選択肢から消えると、乗り入れが可能なのはABFM車と2400形のみとなります。
しかし、ABFM車は2400形の増結用として2両に統一され、役割が変化していきました。

2400形は編成数が多く、単独形式で湯本急行をまかなえる規模でした。
さらに、先頭車を挟まない両開きドアの4両編成で、途中駅でのドアカットという点でも都合がよかったのです。
様々な事情を踏まえれば、2400形に集約されるのは必然でしたが、前述のとおりサービス面では苦しい時期が続きました。



写真を提供いただいた小田急指令掛川様は、数々の貴重な映像も撮影されています。
YouTubeにて公開中ですので、よろしければそちらもご覧下さい。

おわりに

湯本急行の主役ではあったものの、歓迎される存在ではなかった2400形。
一つの時代を支えた名車ではありますが、このような背景もあったためか、興味の対象とはなりにくい車両だったようですね。