大規模な改良工事が始まり、日々姿を変えつつある小田急の藤沢駅。JR東日本の東海道線とホームが並び、江ノ島線内では最も利用者が多く、改良によって今よりも乗り換えがしやすい駅へと変化する予定です。そんな藤沢駅ですが、過去にも何度か改良工事が行われており、時代に ...
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タグ:小田急2200形
小田急の多摩線を走る車両が1900形から2200形に変わったのはいつなのか
現在は最大で10両編成の列車が走るようになり、沿線が空き地ばかりだった開業時とは大きく変化した小田急の多摩線。近年は利用実態に合わせた減便が行われていますが、小田原線と直通運転を行う列車も運行され、利用しやすい状況は保たれています。そんな多摩線ですが、利用 ...
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小田急2200形の2枚窓車は晩年のどんな時に多摩線以外を走ったのか
ネコ等と呼ばれて親しまれ、全16両が在籍していた小田急2200形の2枚窓車。最終編成の2217Fを除いた8編成が該当し、他の車両とは異なる非貫通の前面が最大の特徴でした。晩年は2220形等の間に挟まった6両編成ばかりとなり、なかなか先頭に出る機会がありませんでしたが、2211F ...
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僅か1編成の珍車 小田急2200形の2217Fはどんな車両だったのか
出自は異なりながらも、最終的には全ての編成が3扉の2両編成となり、同一形式として扱われることになった2200系列。小田急の通勤型車両としては最後の2両編成でしたが、晩年は実質的に固定編成として扱われ、4両や6両の運用で使われることとなります。そんな2200系列の中に、 ...
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ついに解体の危機へ 元小田急2200形の2211Fは今日までどのように歩んできたのか
小田急初の高性能車として、直角カルダン駆動方式や電磁直通ブレーキを採用して登場した2200形。前面2枚窓の愛嬌のあるデザインは、ネコと呼ばれて親しまれ、現在は2201Fのデハ2201が海老名検車区内で保存されています。そんな2200形ですが、小田急で保存されている車両以外 ...
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小田急の通勤型車両におけるドアの幅はどのように変化してきたのか
平成の初期を中心に、扉の幅が広いワイドドア車を導入した小田急。3000形の増備途中に通常の扉幅に戻り、それ以降はワイドドア車を投入することなく今日に至っています。時期によって扉幅が変化してきた小田急ですが、過去の通勤型車両にはどのような幅のドアが採用されてき ...
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略称だったはずが正式社名にも採用 小田急の名を広めた「東京行進曲」とは
1927年に小田原線を一気に開業し、その後江ノ島線や多摩線が加わった小田急。開業時の社名は小田原急行鉄道でしたが、略称として小田急が使われ、後に正式な社名として採用された経緯がありました。小田原急行を略して小田急と呼ぶようになるのはなんとなく分かりますが、い ...
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旧塗装化された小田急2600形はどのように使われていたのか
小田急に本格的な大型車の時代をもたらし、2004年に惜しまれつつ引退した2600形。最後まで残った編成の先頭車が海老名検車区内に保存されており、現在も時折見ることができます。晩年は懐かしい旧塗装に戻され、多くの方の注目を集めることになりましたが、その際はどのよう ...
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初日から大混乱 小田急が開業した1927年4月1日はどんな状況だったのか
新宿から小田原までの82.8kmを一気に建設し、1927年4月1日に開業した小田急の小田原線。郊外へと延びる鉄道であり、開業後の経営は苦しかったようですが、沿線とともに発展する歴史を歩んできました。小田急の開業は今から100年近くも前のことであり、当時の記録はほとんど残 ...
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小田急2200形の保存車は廃車後にどのような歴史を歩んできたのか
小田急初の高性能車として、1954年に最初の編成が登場した小田急の2200形。前面の大きな2枚窓が特徴の車両で、1984年の引退まで基本の姿を変えずに活躍しました。現在も第1編成のデハ2201が保存されていますが、廃車からしばらくの間は野ざらしになっていた時期がある等、エ ...
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